

- 教育のこと、あれこれ/コラム
- AIに負けないだけの学力とは?
- 第1篇
- ■中学受験篇 ~その1~ 熱意が生んだ奇跡、それとも?
- ■中学受験篇 ~その2~ 偏差値は万能?
- ■中学受験篇 ~その3~ もう一つの大事な仕事
- ■中学受験篇 ~その4~ 答えはお母さんの笑顔
- ■中学受験篇 ~その5~ 欲しがりません、勝つまでは
- 第2篇
- ■中学受験篇 ~その6~ 合格だけが全て?
- ■中学受験篇 ~その7~ 真っ黒になる? それとも真っ白?
- ■中学受験篇 ~その8~ 最も厳しい春だった今年の中学受験
- ■中学受験篇 ~その9~ 情報過多の罠
- ■中学受験篇 ~その10~ 偏差値50の壁
- 第3篇
- ■中学受験篇 ~その11~ 好きこそ物の上手なれ
- ■中学受験篇 ~その12~ バランスの勝利(その1)
- ■中学受験篇 ~その13~ バランスの勝利(その2)
- 第4篇
- ■受験一般篇 ~その14~ 禍転じて福となす(その1)
- ■受験一般篇 ~その15~ 禍転じて福となす(その2)
- ■受験一般篇 ~その16~ 禍転じて福となす(その3)
教育のこと、あれこれ/コラム

AIに負けないだけの学力とは?
皆さんはAI(人工頭脳)に対してどんなイメージをお持ちでしょうか? ご存じのように、最近のAIの進歩は目覚ましいものがあります。特に将棋や囲碁において、その世界の頂点を極めたプロ棋士達が、次々とAIの前に敗北していく様子が新聞で報じられたことは記憶に新しいと思います。こういった事実から、2045年にはAIは人間の頭脳を超えるのではないかとさえ囁く者もいる程です。
一方、AIを使い東大に合格できるかどうかにチャレンジしたチームが遂に不可能だという結論に達したことも明らかになりました。
つまり現在のAIにはすでに、人間の能力をはるかに超えて実力を発揮する分野が確かに存在するのですが、全ての知的活動の面で人間を超えたわけではないのです。
とはいえ、AIが一定の実力を持ち始めてきたことは否定の出来ないことですし、将来人間の仕事の多くがAIに奪われることになるのも間違いありません。
ではAIに仕事を奪われないようにするためには我々は学生時代にどのような学力を身に着けておく必要があるのでしょうか?
それはAIの長所と短所から判断できるのです。AIによる東大合格が可能かどうかのチャレンジからわかったことは、AIは数学や世界史では高得点を挙げられる場合がある(偏差値60を超える)一方で、国語や英語ではどんな工夫をしてもいい成績を上げることができない(偏差値60を超えられない)ということでした。
このことから予想できるAIの長所は、
① AIはコンピューターなので当然、計算は速くて正確である。
② AIは情報処理能力に優れているので、暗記科目は得意である。
③ AIはマニュアル通りの作業を最も得意とする。
といったことだと思われます。
一方、予想できる短所は、
① 言語の種類に関係なく、文章を読んで理解するのは苦手である。
② 型にはまらない作業はなかなかうまくいかない。
といったことだと思われます。
AIの短所を踏まえればAIに負けない学力とは、確かな文章読解力と柔軟な思考力を兼ね備えていることだと考えられるのです。
二年後にセンター試験の制度が変更されるのも、こうした時代の要請が背景にあるからだと思われます。
私もAIに負けないだけの学力を持った学生を一人でも多く育てるため、指導に様々な工夫を取り入れていきたいと考えております。
最後に指導中に私が心掛けていることが一つあるので、ご紹介いたします。
私は読解力の重要性について強調しましたが、この力を付けることは国語力の向上にとって鍵となるだけではありません。あらゆる科目の基礎となります。
例えば、算数や数学を苦手とする学生が問題文の内容を正確に理解できないために、結局不適切な解き方をしてしまうというケースを私は実際に目にしたことがあります。
そのため私は普段の指導の中で科目のいかんにかかわらず、問題文中にその学生にとって内容理解の妨げになっていると思われる文章を目にした場合には、可能な限り国語的な説明を加えることにしています。
そしてこのことはそれぞれの科目の専門家にとってそれ程簡単なことではないはずです。

第1篇
1 熱意が生んだ奇跡、それとも?:中学受験篇(2006年9月3日)
2 偏差値は万能?:中学受験篇(2006年10月10日)
3 もう一つの大事な仕事:中学受験篇(2006年11月11日)
4 答えはお母さんの笑顔:中学受験篇(2006年12月10日)
5 欲しがりません、勝つまでは:中学受験篇(2007年1月13日)
■中学受験篇 ~その1~ 熱意が生んだ奇跡、それとも?
数年前のことです。私が担当していた生徒が2月3日に暁星中学校を受験したのですが、合格ラインすれすれで結局補欠になってしまったことがありました。暁星は毎年30名ほど補欠を発表するようですが全員が繰り上がるわけではなく、例えばその前の年には11番の生徒までしか繰り上がっていませんでした。
私の教え子は13番目だったので、まさにぎりぎりのところにいました。1月に埼玉県の某進学校を合格してはいましたが本人にとっては不本意な学校で、とても入学する気にはなれなかったようです。
ところがいつまでたっても暁星から連絡がなく、ついに埼玉の学校の方でも制服を作ることになり、いよいよ諦めるしかないのかという状況になりました。私としてもこのままではとても納得が出来なかったので、お母さんに「暁星と連絡をとってみてはいかがですか。」と提案したのですが、お母さんはもう「終わっています、と言われるのが恐いから連絡する気になれない。」と言って連絡しようとはなさらなかったのです。
そこで私が意を決して暁星と連絡をとってみました。その日は確か2月26日だったと思います。暁星にかけてみて自分の教え子が受験をして補欠になったがいまだ連絡がないことを告げると「もうその件は終了しています。」と言われてしまいました。ところが「13番なのですが。」と言うと、なんと「えっ、13番なのですか。昨日12番が繰り上がって、今13番をどうしようか相談しているところなのです。」と信じられないような言葉が返ってきたのです。私はすぐにお母さんにこのことを告げて、暁星に子供と一緒に行って直談判してはいかがですかと勧めました。
私は「暁星にとって生徒一人が増えるかどうかは実はたいした問題ではないのではないか、どうしても入学したいという熱意を伝えれば入学させてくれるはずだ。」と考えたのです。翌日2人は暁星に行って「是非入学させて欲しい。」という旨を伝えました。それに対して対応に当たった先生に「こればかりは入学辞退者が出ないと認めるわけにはいかないのです。」と言われたことで、2人はダメだと思いがっかりして帰ってきたそうです。
ところが次の日、「入学辞退者が出たので入学を認めます。」という内容の電話がかかって来たのです。「奇跡が起きた!」と2人の喜びようといったらそれはもう大変なものでした。
もう3月にもなろうとしている時期に、しかも2人が行ったすぐその次の日に入学辞退者が出るなんて。これは2人の熱意が生んだ奇跡なのでしょうか。私は、わざわざ出向いて行った2人の熱意に感心した学校側が特別な配慮をしてくれたというのが事実のような気がします。
「ん? ちょっと待てよ。」
私の電話が早すぎて12番まで繰り上げになっていなかったとしたら、また教え子の力が足りずにもっと後の方の補欠だったとしたら、2人が熱意を伝えに学校に出かけていきそれにたいして学校側が特別な配慮をしてくれるということはなかったかもしれません。
やっぱり一生懸命勉強してきた教え子のために神様が起こしてくれた奇跡なのかもしれませんね。目標に向かって一生懸命頑張ること、そして最後まで諦めないことが大切なことなのだなと改めて思い知った出来事でした。
家庭教師 福田貴日(2006年9月3日)
■中学受験篇 ~その2~ 偏差値は万能?
中学受験に於いて偏差値が重要な意味を持つことは、確かなことだと思います。実際自分の子供を塾に通わせているご両親の実に多くがそのように思っていますしそれが証拠にそういった方々が塾で定期的に行われるテストや志望校判定の出る模擬試験の結果(特に偏差値)を見るたびに一喜一憂している様子をよく目にします。この結果で志望校に入学できるか出来ないかが決まるとまで思って必死になって偏差値を上げようとされている方も多いかと思います。
このこと自体は間違いではありません。プロの家庭教師である私自身も生徒を志望校に合格させる為に偏差値アップにこだわりますが・・・。
昨年のことです。学習院女子を第一志望とする生徒を教えていました。彼女は比較的塾での成績が良く、模擬試験も様々なものを受けていずれも学習院女子レベルであれば60~80%の判定が出ていましたから、ご両親も当然学習院女子に入れるものと思っていました。
ところが私が教えるようになってすぐにそう簡単にはいかないことに気づきました。6年生も夏休みが終わって9月ともなればそろそろ志望校の過去問を解き始める人も増えてくるかと思いますが、実際に学習院女子の過去問をやらせてみると、合格最低点に20点ほど及ばず、特に肝心の国語、算数が過去受験者平均点以下であり合格はとてもおぼつかないという結果でした。これはいったいどういうことだと思われますか。
塾のテストや模擬試験は様々な学力の子が受けますから、易しい問題、普通の問題、難しい問題が適度に配分されています。普通に勉強していれば平均点が取れるようになっているのです。一方入学試験は難しい学校ほど独特な出題傾向というものがあり、それに慣れていないもしくは向いていない場合は、普段の模試の成績が良くても、入学試験では合格レベルの得点が取れないということがおきえます。まさに彼女はこのケースでした。
私はさっそく彼女の弱点補強を実施しました。学習院女子の国語の問題には明らかな出題傾向がありました。例年漢字の読み書きは2割程度。残りの8割は文章を読んで設問に答える形です。しかもその文章読解の問題にも特徴がありました。「・・・について説明しなさい」という自分で考えて書かせる設問が大半で、簡単な穴埋めや選択問題はほとんどないのです。彼女はこの手の“自分で考えて書かないといけない”という問題がまったくといっていいほどできなかったのです。さらに詳しく見てみると、毎年文章読解の中に出てくるキーワードを説明させたり、言い換えさせたりする問題がありました。そこで市販の中学国語読解記述キーワード集の本を使い、そこに出てくる「語句」、「言い回し」の意味を暗記させるのではなく、自分で書いて説明させる訓練を徹底的に行いました。これは自分で考えて書くという訓練にもなりますし、言葉の意味を正確に理解できれば長文問題の読解力のアップにもつながると思ったのです。この訓練の効果はてきめんでした。
今年彼女から年賀状を受け取りました。そこには学習院女子の制服姿の彼女が楽しい学園生活を送っている様子が窺える写真がのっていました。本当に良かったと心から思いました。
家庭教師 福田貴日(2006年10月10日)
■中学受験篇 ~その3~ もう一つの大事な仕事
長い間この仕事をやっておりますと家庭教師の仕事はただ勉強を教えるだけではないと思うことがありますね。他にも大事なことが、それは・・・。
これはもう10年近く前のことになりますが当時TAPという塾に通っていた小6の女の子を担当することになりました。その生徒は港区にある某有名私立A女子中学、四谷の合不合でいえば偏差値約60のところを第一志望にしていました(以下A女子中)。塾での成績は比較的良く、テストでは4科目トータルで55~60程度の偏差値を毎回取っていました。
私が彼女の担当になったのが6年生の10月と遅かったですし、TAPでの成績を聞いていたので私が成すべきことは「合格圏内の実力は既にあるから、あとは出題傾向にあわせた弱点補強対策だな。」と考え、早速第一志望のA女子中の過去問を解いてもらうことにしました。毎回、一年分の入試問題を本番さながらに時間もきっちり計って4科目全て解いてもらい、彼女の不得意分野・問題を把握するとともに、科目ごとの点数や4科目の合計得点も記録に取りました。その合計得点の平均は6割をやや下回るかなというところでした。
過去問ベースで彼女が合格ラインなのかどうか数字で確認しておきたいところでしたが、あいにく学校側が公表していないらしく、この問題集には毎年の合格最低点が記載されていませんでした。まあそれでも長年の経験から彼女は合格レベル内にいることは間違いないと思えましたし、後は合格をより確実なものとするために出題傾向に合わせた弱点補強をすれば良いと思い、またそのようにご両親に申し上げました。
ところがそこへたまたまA女子中の学校説明会があるというので、ご両親が説明会に赴き、合格最低ラインはどれくらいなのかということを聞いてみたのです。学校側の答えは、「うちでは7割は取ってもらわないと困ります。」というものでした。
この学校側の発言にまずお母さんが本当に大丈夫だろうかと不安な様子になり、そしてそのお母さんの不安が伝染したのか、いつも元気だった彼女が黙ってしまい落ち込んでいる様子が見て取れました。
残念ながら今のお子様は目標が高くなったと思うと、やる気をなくしてしまう子が多いのです。そのまま無理に続けさせても勉強に身が入らないし、心が不安なままでは本番で実力を発揮出来ません。彼女の場合も「このままでは受かるものも受からなくなる。これはまずいことになったな。」と正直思いました。
そこで私は「学校はね、説明会ではああいう風に大げさに言うものなのだよ。先生はたくさんの生徒を教えていろいろな学校に合格させてきたから、君はあの学校に合格できる実力があるってわかるよ。後は、過去問で苦手だった問題を解けるようにしておけば大丈夫だから。先生と一緒に頑張ろうね。」と言って彼女を励ましたところ、いつもの元気と笑顔が戻ってきました。過去問で解けなかった問題を分野ごとに分け、それぞれ対策を打ちました。例えば算数などは解けなかったものの類似問題をたくさんこなしてもらいました。すると前に解けなかった過去問が解けるようになったおかげでしょうか、すっかり自信を取り戻して勉強は順調に進みました。
そしていよいよA女子中入試の日のことです。試験終了後、彼女の入試の出来を尋ねてみました。
私 :「ねえ。今日、どうだった?」
彼女:「過去問よりかなり難しかった。半分くらいしか点が取れていないかもしれない。」
私 :「そうなの。で、緊張したり、焦ったりせずに実力は出せたのだよね?」
彼女:「それは大丈夫だった。」
半分しかできていないと聞いて少し不安になりましたが、ともかく彼女が実力を出して半分しか出来なかったのなら、本当にその年の問題は例年より問題が難しかったのであり、その分合格ラインもずいぶん低いはずだから大丈夫だと思い直しました。
いよいよ合格発表の日。お母さんから電話がありました。合格していました。替わって電話に出た本人からも「先生の言う通りだった。ありがとう。」と言ってもらいました。この仕事の一番うれしい瞬間ですね。
家庭教師の仕事は基本的には勉強を教えることですが、難しい年頃ですから時にはこういう風に精神的な支えになってあげることも重要です。やる気を持って勉強に取り組み、本番で実力を発揮できるように。
それにしても学校はどうして「7割は取ってもらわないと困る。」なんて言ったのでしょうね。実は彼女に「学校は大げさに言うものなのだよ。」と言ったのは彼女を励ますための詭弁でした。「ごめんなさい。○○ちゃん。」
家庭教師 福田貴日(2006年11月11日)
■中学受験篇 ~その4~ 答えはお母さんの笑顔
「とりあえず塾には行かせて見たのですが、成績があまり良くなってこないのです。受験も近いし心配です。」とお悩みのお母さんいますね。「この子はちゃんと塾で勉強しているのかしら。」と。
私は以前ある進学塾の講師をしていたことがあるのですが、その塾を辞めたすぐ後に中学受験を控えた小6の女の子を6月から担当することになりました。
まずは実力把握ということで塾のテストの結果を見せていただきました。国語は偏差値40台前半が多かったですし、算数についてはずっと偏差値が30台でした。
その生徒の第一志望はF中学。2科目(国語・算数)受験の学校でレベル的にはそれほど難しい学校というわけではありませんでしたが、このテストの結果では厳しい。お母さんが不安になるのも無理はありません。そこでより深刻な算数のてこ入れを図ることにしました。
まず塾の算数のテストの問題と答案を何枚かじっくり見直したところ、共通点があることに気が付きました。偏差値30台ですから計算問題や一行問題の出来が悪かったのは予想通りでしたが、その当時塾でやっていたと思われる分野(6年生の分野)は比較的出来ていました。聞いてみると塾に行くようになったのは5年生の終わりからだとの事でした。
進学塾のテストというのは学校の中間や期末と違って、学習したばかりの範囲以外の問題も多く出題されますし、中学受験に出るようなレベルの問題が中心になっています。この中学受験用の算数の問題というのが曲者で、学校でまじめに授業を受けていただけでは対応が難しい面があります。また塾の授業は4年生から塾でやっている子も6年生から通い始めた子も同じ内容であり、その頃は6年生の分野が中心になっています。そこで塾に通い始めたのが6年生からの生徒は、5年生以下の受験算数は自分で何とかしなくてはテストで良い点数は取れません。こういった事情を考慮すれば彼女は塾での授業をまじめに受けており、むしろよく頑張っている方だと私は思いました。
そこで私が取った対策はまず中学受験レベルの計算問題10題を毎日こなしてもらう。その次に割合と速さの分野を仕上げる。割合と速さの分野に見込みがついたら、F中学が入学試験によく出す単元をマスターさせるというものでした。彼女の場合、算数のテストの点を手っ取り早く上げるにはまず受験用算数の計算問題で確実に点を取れるようにすることでした。そして私は特に割合と速さの分野に力を入れました。というのも割合と速さは中学入試において出題頻度が最も高いにもかかわらずテストでの出来が非常に悪かったからです。
3ヵ月後には彼女の算数の成績は偏差値で50近くまで上がってきました。10月頃からはF中学の過去問を解かせながら出来ない単元を補強するという作業に入りました。その頃一方で不思議なことが起きました。私が直接指導していない国語の成績まで上がってきて、その偏差値は50を超えるようになっていたのです。そして入試の日。勿論合格していました。
このコラムで私が申し上げたいことは「塾より、家庭教師のほうがいいのだ」ということでは決してありません。“私が教えていないのに何故国語の成績まで良くなったのか”の方です。
答えはお母さんの笑顔なのです。
最初にお会いした時、お母さんは塾に行かせるようになってまだ4ヶ月しか経っていないのに成績が良くならないと焦っておられました。冒頭に書いたように「この子はちゃんと塾で勉強しているのかしら。」と。お子様はお母さんの顔色をよく見ています。本人はちゃんと塾で頑張っているのに、そんなふうにお母さんが思っていると相当なストレスを感じていたことでしょう。
指導を開始して2ヵ月後くらいだったでしょうか。彼女の算数のテストの結果が良かった日、お母さんは嬉しそうに笑顔で「先生のおかげで良い点が取れました。最近は家でも勉強するようになりました。」とおっしゃいました。そのとき彼女は照れくさそうにしていましたがとってもいい笑顔でした。「ママ、これからも頑張るからね。」と言っているような気がしました。
余談。現在中学受験においては学校の勉強だけでは対応できず、早くから進学塾に通わせたり、家庭教師を雇ったりと対策を立てる必要があります。今のこういった状況は決して良いこととは思いませんが、一生懸命頑張って目標の中学校に合格できたという成功体験はいいですね。「頑張れば何とかなる。」ということを早いうちに体験できたことはこれからの人生のいろいろな局面できっと役立つことでしょう。
家庭教師 福田貴日(2006年12月10日)
■中学受験篇 ~その5~ 欲しがりません、勝つまでは
昔の学生は入試で勝ち抜くためによく“欲しがりません、勝つまでは。”などといって自分がやりたいことを一切抑えて受験勉強に専念した人が多かったそうですが・・・。
数年前のことになります。神奈川御三家のひとつといわれるA中学を第一志望にしている生徒を小6の9月から担当することになりました。
聞いたところによると、彼は3年生から塾(日能研)に通い始め、真面目な為コツコツと勉強を続け4年生には4科目とも偏差値60を切ったことがないという優秀な成績だったそうです。
ところが5年生の終わり頃から成績が下がり始め、6年生の初め頃(4月)にはなんとか60あった偏差値も私が教え始める直前には55程度まで下がっていました。
最初彼に会った時、まだ6年生なのに非常に疲れた表情をしていました。長い受験勉強で疲労が溜まっている様子がはっきり見て取れました。彼の部屋の中を見回してみると、机の上や本棚にあるのは受験参考書や問題集ばかりで趣味やスポーツ、その他気分転換になりそうなものは何もありませんでした。
そんな中で生真面目な彼は成績を元の水準に戻そうと、焦りながら勉強を続けてきたのでしょう。しかし成績はむしろ下降気味。受験生にはよくあることですがちょっとしたスランプに陥っていたようです。
子供ですからテレビも見たい、ゲームもやりたいでしょう。漫画や雑誌を読みたいと思うこともあると思います。それに長期間の受験勉強は体力勝負ですから運動することも必要です。それら全てを受験だからという理由で完全に辞めさせてしまったら、どこか支障をきたします。ちゃんと時間を決めてやればそういった好きなことが気分転換になり、勉強の能率が上がります。
私はその生徒の授業中に勉強とは関係のないテレビやゲーム、漫画や本人の趣味のことなどを話題にして息抜きをさせました。お母さんにも“少しで良いから本人に気分転換の時間を作ってあげてはどうですか。”と勧めたりもしました。
私はもうひとつの彼のスランプの原因を発見しました。
彼はレベルの高い塾に通っておりましたので、その塾では彼に難関校レベルの問題を大量に課題として出していたようです。しかし彼はそれらの課題を十分にはこなしきれていませんでした。
例えば算数。いわゆる難関校の試験問題は、学校では決して教えてくれない受験算数独特の解法テクニックを使わせる上に、さらにそれにひとひねり加えたものが多いのです。そういう問題も解ければそれに越したことは無いのですが、彼の場合このひとひねりに対処できないことがある→点数が伸びない→自信喪失となって、しまいには彼の能力なら解けるはずの問題も苦手意識から解けなくなるという悪循環に陥っていました。
彼の第一志望のA中学は、合格偏差値レベルが高い割に試験問題は他の難関高ほど意地悪ではありません。勿論その分合格得点ラインは高いので取りこぼしは命取りです。私は塾が彼に出してくる難解な問題への取り組みは最小限に抑え、重要な単元の一行問題を多数こなさせることで受験算数の解法テクニックを徹底して身につけさせました。実際のA中学の入試で取りこぼしが無いことの方を重要視したのです。
<具体例>
① 某難関校の過去入試問題
1から1000の整数の中で、3で割ると1余る整数のうち2の倍数でも5の倍数でもないものは何個ありますか?
② A中学の過去入試問題
3桁の整数の中で2では割り切れるが3で割り切れない整数は何個ありますか?
同じ整数の単元の問題ですが、得点源となる一行問題でも違いがありますね。いずれも解法の基本は最小公倍数ですが、A中学の問題はこの基本を使ってすんなり答えが出ます。一方、①はこの解法が身についていれば、それを複数回使用するだけで解ける問題ではあるのですが、「3で割ると1余る整数のうち」という条件をつけてややこしくした上で、2の倍数でも5の倍数でもあるという整数(すなわち10の倍数)の個数を考慮し忘れると正解にならないというもうひとひねりがあります。
また理科についても同様。彼は塾で難しい問題ばかりやっていて細かい知識ばかり詰め込んでいたために、かえってテストでは基礎的な計算問題や基本的な重要知識の問題を取りこぼしているというようなこともありました。そこで私は計算問題に関しては塾の課題の中から基礎的なものを選んでやらせ、基本的な重要知識に関しては学研のカードで合格理科・動物・植物・天体の要点82を使って覚えるように指導しました。
ところがこの対策を実行してから2-3ヶ月たっても塾でのテストの成績はせいぜい横ばい程度で、偏差値的にはA中学の合格は難しい感じでした。ご両親は志望校を変更すべきかとまで悩んでいたようでした。しかし私には光が見えていました。実は彼のA中学の過去問の出来は非常に良かったのです。
いよいよ受験シーズン直前の1月頃。塾でのテストの結果も急に上向いてきました。どうしてか?具体例のところで記した①のような難関校の問題も、②で使う解法がしっかり身についていれば十分対処できるようになるのです。彼は見事に志望校であるA中学に合格できました。
レベルの高い塾に通って難しい問題をたくさんこなす。これは偏差値の高い中学校の受験のために必要なことであるとは思いますが、個々の志望校の出題状況や生徒の状況によっては、それだけで十分とはいえないケースもあるということです。
余談。この生徒のように中学受験に備えて3年生や4年生の頃から有名塾に通い勉強するというのは今ではよくあることですね。ところが子供としては一番のびのびと遊びたい頃です。適度な息抜きの時間を是非作ってあげてください。出来ればスポーツをする時間も。
私はというと最近は担当する生徒が多くて大好きなテニスをする時間がなかなかとれません。私にもちょっと息抜きが必要かも。
家庭教師 福田貴日(2007年1月13日)


第2篇
6 合格だけが全て?:中学受験篇(2007年2月21日)
7 真っ黒になる? それとも真っ白?:中学受験篇(2007年4月12日)
8 最も厳しい春だった今年の中学受験:中学受験篇(2007年7月28日)
9 情報過多の罠:中学受験篇(2008年4月28日)
10 偏差値50の壁:中学受験篇 (2009年2月18日)
■中学受験篇 ~その6~ 合格だけが全て?
今年、ある小6の受験生のお父さんから第一志望校の受験前後に2通のメールを頂きました。その方の了解を得ましたのでここにご紹介したいと思います。
結果を先に言いますと今回その子は第一志望の私立中学校に不合格でした(第二志望を含む3校に合格)。
以下、お父様から頂戴したメールです。
Subject:お礼
福田先生
いよいよ受験もあと数日に迫りました。思えばこの1年は激動の一年でした。5年生の3学期からの受験勉強は厳しいものがありました。子供も親もどのように受験勉強を進めていけばよいのかわからず、ただ塾のいうままに宿題をこなし、5月の連休が明けるまでは暗中模索の状態が続きました。この頃は、子供が寝る時間はほとんど夜中の12時半を越えていたと思います。といいますのは、そうでなければ塾の宿題が終わりませんでした。今思うとよくもそこまで頑張ったと思います。そうこうするうちにさすがに子供も睡眠不足などが重なり、体力にも限界がきてしまいました。体調を崩してしまい、大幅のペースダウンをせざるを得ない状況に陥りました。
正直この時期には2科受験への変更を考えました。ただ周囲のアドバイスもあり、夏休みまではとりあえず4科で頑張ってみることにしました。私は思い切って、日課となっている算数の計算(一行問題を含む)や漢字を中止し、塾の宿題もすべてこなすことはせず、あえて無理をさせませんでした。今思うとこの判断は無謀ではあったのでしょうが、今日まで受験勉強を続けることができたのはこの時の判断があったからだと思います。あの時無理に夜中まで勉強を続けていたら、おそらく12月あるいはそれ以前に破綻していたと思います。また、あの時あきらめて2科受験にしなくてよかったとも思います。2科受験は一見楽そうに見えて、実はかなり受験生にとって不利であるということがあとになってわかったからです。
夏休み中は塾から与えられた教材を中心にやらせました。もちろん、順調にすすんだわけではありません。そして、8月末にインターネットで福田先生を知り、9月から早速授業が始まりました。まず、毎日の計算と漢字を再開しました。また、早い段階で第二志望、第三志望の学校を決め、その過去問を開始しました。福田先生のアドバイスに従ったおかげで、9月以降はかなり落ち着いて日々の学習プランを立てることができました。また、11月以降、第一志望校の勉強に集中できたことも大きかったと思います。
何より福田先生に助けて頂いたと思うのは模試の偏差値に一喜一憂せずに済んだことです。模試の結果がよくても「実際の入試でできなければ・・・」と特に子供をほめることもなく、また結果が悪くても「模試はあくまで模試ですから、本番の入試で合格点をとれれば・・・」と特に心配する様子もなく、ただ淡々と模試の結果を評価されていたので、最初は不安でしたが、そのうちに少々悪い結果であってもあまり気にしなくなっていきました。11月あたりから算数が少しずつ伸び始め、偏差値も急上昇し始めました。12月は福田先生のアドバイスに従い、勉強時間の大部分を算数に費やす毎日でした。そして,冬休み中は正月を含め、とにかく過去問とその弱点補強に努めました。その結果、1月受験は信じられないくらい順調だったと思います。特に、過去問の相性がよくなかったA中学校に合格できたのは子供にとっても大きな自信になったのではないか思います。このまま何とか乗り切れればと思います。
家庭教師の役割というのは、確かに子供の勉強レベルを上げることが第一なのかもしれません。しかし、受験というのは12歳の子供一人の力だけでは厳しいものがあります。そこには親や塾、学校などのサポートが必要です。ただそれだけではなく、今回痛感したのは、福田先生のように親の不安を取り除くという家庭教師のもう一つの役割というものの重要性です。塾からは「受験直前になるとお子さんよりも両親の方がカリカリして、それがむしろお子さんにマイナスに働くことがあるので十分注意してください。」といわれていましたが、そのような事態にならなかったのは福田先生のおかげだと思っています。たぶん塾だけに頼っていれば、かなり不安や不信感が溜まっていき、ある時期爆発していたかもしれないと思います。福田先生は、授業が終わったあとに十分な時間をとって我々両親と話しあう機会を設けてくれましたので、こういった悩みは最小限に抑えることができたように思います。12月、1月と試験が近づいてきても、子供、両親ともに比較的安定して、穏やかに過ごすことができたように思います。
本番の試験ではここまでやってきたことをすべて発揮してくれれば何とか合格できるのではないかと思います。2月1日に結果を電話でお知らせ致します。吉報をお伝えできればと祈っております。この半年間本当にありがとうございました。
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Subject:長い、長い一日
福田先生
2月1日、第一志望のB中学校を受験しました。子供から聞いた話を総合的に判断すると予想外に健闘したように思いました。私の予想では、算数,国語のできも悪くなく、合格最低ラインはかろうじてクリアーできたのかなあと思いました。しかし、インターネットでの発表には子供の受験番号は見当たりませんでした。私も妻も一瞬言葉を詰まらせてしまいました。受験とはやはり厳しいものですね。子供も少しは自信があったのか、何度も何度もコンピューターを立ち上げては発表のページを見て、何かをつぶやいていました。この悔しさがいつかよい方向に働いてくれればいいのですが・・・。
受験とは結果がすべてであるといってしまえばそれまでです。ただ、もう少し冷静になって考えてみると、今まで見えていなかったものがぼんやりとですが見えてくる気がします。中学受験が我が家にもたらしてくれたものはひょっとすると親子の強い絆だったのかもしれません。一年前、サピックスの入塾試験に不合格(偏差値26)となり、日能研でも37と、両親ともに途方に暮れてしまった日々が走馬灯のように思い出されます。その子供が1年間の勉強で、首都圏模試で偏差値を60近くまで取れるレベルに達したわけですから本当によく頑張ったのだと思います。親として子供に大きな拍手を送ってあげたい心境です。
確かに今回第一志望が不合格になったことは非常に残念ですが、そのことによって子供もきっと何かを学び取ったと思います。この不合格は子供にとっては大きな、大きな一歩に違いないと確信しています。明日、第二志望のC中学校を受験しますが、きっとよい結果を出してくれると信じています。第一志望校は不合格になってしまいましたが、何年か経って中学受験を振り返ったとき、子供にとっても親にとってもきっと懐かしい、そしてよき思い出になっていると思います。
福田先生には本当にたくさんのアドバイスを頂き感謝しています。今いえることは、中学受験はあくまで通過点に過ぎないということです。中学受験の結果で人生が決まるわけでもなく、「人間万事塞翁が馬」だと思います。中学受験はわが子のみならず、親にとっても本当にいい経験になったと思います。福田先生には感謝の念で一杯です。少しゆっくりしたら食事にご招待したいと思っています。また連絡致します。
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授業終了後のご両親との面談では、お父さんは必ずメモ帳を用意し、私の言ったことを細大漏らさず書き取っていました。私は下手なことは言えないと緊張し、またその真剣さに圧倒されたものでした。
冬休みのことです。受験予定校の過去問は一通り終え、見つかった弱点分野を集中講義する予定にしておりました。算数は約数・倍数の問題が弱点の一つでした。ある問題集を使ってその単元の問題をやらせたところ苦手だったはずの問題がすらすら解けるではないですか。ちょっと驚いて、どうしたのかと聞いてみたところ、お父さんと一緒にもうやっておいたということでした。
そういえば授業のあとの面談でどこが弱かったのかということをお父さんにお話ししていました。そうです。別に御願いしたわけでもないのにお父さんは仕事の忙しい合間をぬってその子が弱かった単元の問題をつぶしていたのです。以下はその時の問題の一つ。
<具体例>
113、266、385を1以外の整数(ア)で割ると、余りは同じ(イ)になります。整数(ア)と(イ)を求めなさい。
解法がわかっていればそんなに難しいものではないのですが、その解法は簡単には思いつかないし、小6の生徒に理解できるように教えるのは根気が要ります。しかしこのお父さんはちゃんと解説されていたようでした。しかもこの問題のほかにもたくさんやっていただいておりました。ここまで真剣にお父さんが取り組んでいたのでお子さんもそれに応えようと頑張れたのではないかと思います。
受験ですから「合格しなくては意味がない。」と思われる方もいらっしゃるでしょう。私も「プロ家庭教師」と名乗っている以上、結果だけにこだわるべきなのかもしれません。
しかしこの親子にとっては第一志望校が不合格になってもなお得るものがあったと言えるのではないでしょうか。合格だけが全てではなかったわけです。お子さんの頑張り、お父さんの真剣さ、それらはお父さんがメールの中で述べられているように、きっと将来役に立つものと私も信じております。
家庭教師 福田貴日(2007年2月21日)
■中学受験篇 ~その7~ 真っ黒になる? それとも真っ白?
小学生にとって夏休みは真っ黒になってそれはもう思いっきり羽を伸ばしたいっていう感じなのでしょうが、受験生にとってはその夏休みを効果的に活用できるかどうかでその後の受験に明暗がくっきり現れることも。
昨年5月中旬から私が担当した生徒にこの夏休みを有効利用した結果、大きな進歩を遂げた男子生徒がいました。彼はある大手の塾に週5日通いながら剣道にも打ち込むというハードな生活を送っていました。塾での成績も良く剣道も強いという彼は、文武両道に秀でていました。但し、国語、社会に比べると理科、特に算数には苦手意識を持つ生徒でした。
普通大手の塾に通う生徒は小6の夏休みには毎日のように朝から晩まで塾で授業を受け寝る暇もないほど忙しい40日を過ごします。しかし夏休み前にご両親から、「思い切って塾の時間を減らすので苦手な理科、算数の底上げをやって欲しい。」という依頼があり、それを引け受けることになりました。
彼の志望校レベルとその時点での彼の習熟度合いを勘案して、算数は応用自在計算問題の特訓(学研)を使うことにしました。そして毎日どの単元(=問題集の何ページを)やるかという詳細な学習計画を立てました。その際、①彼が1番苦手と思われる分野は私の授業で扱うように割り当てる。②その他の苦手と思われる分野は自習。③ただし自習で間違えた問題には必ず印をつける。④間違えた問題は授業のある日に解説する。という格好にして夏休み期間中に一通り苦手分野がマスターできるようにしました。
彼が苦手としていた分野に場合の数がありました。以下は夏休みの授業で実際に取り扱った問題です。
(具体例)
1) 0,1,2,3,4のカードで、3けたの奇数は何個できますか。
2) 0,1,2,3,4のカードで、3けたの整数をつくるとき、321は小さいほうから何番目ですか。
3) 1,2,3,4のカードで4けたの整数をつくるとき、4の倍数は何個できますか。
4) 1, 2,3,5,6のカードで3けたの整数をつくるとき、250に最も近い12の倍数は何ですか。
5) 1,2,2,3,3,3のカードで3けたの整数をつくるとき、一の位より百の位の数が大きいものは何個できますか。
どうです? 1,2あたりはすぐにでも解けそうですが、3、4、5、あたりになると実際に一度くらいは類似問題をやり、定石が頭に入ってないと時間を食う問題です。授業ではこういった苦手な単元の問題を総当りさせて解き方の定石を完全にマスターさせていきました。
理科については入試に良く出る基礎的な単元をほぼ網羅したメモリーチェック(日能研ブックス)を毎日2単元こなしてもらうよう計画を立て指導しました。
夏休み中は週3回(各2時間)の授業でしたが、自習時間の課題もきっちりこなして頑張ってもらったのでかなり手ごたえを感じていました。
夏休みが終了して四谷の合不合の模試を受けたところ,算数の偏差値が上がり、もともと得意な国語の出来も良くて2科で偏差値60に乗せることが出来ました。そして10月には算数の偏差値も50台後半まで上がり、志望校レベルまでもう少しと言うところまでこぎつけることが出来ました。
■算数:偏差値/得点・2科/4科
・7月:52.7/84/150・54.4/57.0
・9月:54.8/90/150・60.9/58.3
・10月:58.7/95/150・60.9/60.6
・11月:58.4/100/150・57.9/58.5
2月に入って 受験の方はすべてがうまくいったというわけにはいきませんでしたが、1月には練習のために受験した市川(四谷の合不合で偏差値62)と志望校の一つである第一回本郷(四谷の合不合で偏差値60)に合格しました。本郷は進学校であると同時にスポーツも盛んな学校ですので、彼が中学に入っても再び勉強にスポーツにと打ち込む姿が目に浮かぶようで、彼の洋々たる未来を応援したい気持ちになりました。
(2007年4月28日)
家庭教師 福田貴日
■中学受験篇 ~その8~ 最も厳しい春だった今年の中学受験
大学は少子化の影響で入り易くなったというように聞きますが、中学受験はどうやら過熱する一方のようです。首都圏では今年の中学受験者数は軒並み15%前後増えたようです。有力校が一斉に入試を行う2月1日の募集倍率はついに3倍を越えました。ブランド力のある中学は人気が集中し、より一層狭き門となった上、今年の特徴としては女子中学の人気が復活したことと、中高一貫公立校が沢山の受験生を集めたようです。
新学習指導要領の導入で、小学校の学習内容と入試問題との乖離が一層拡大し、これをカバーする為に、受験生活も今では平均して3年と長期化しつつあります。
このように激化する中学受験を勝ち抜くには、私は家族全員の総力戦にならざるを得ないと思います。ところが平均3年といわれる受験生活においては、そのご家族の時間的、金銭的、肉体的負担は相当なものであり、そのストレスはお子様だけでなく、ご両親にも重くのしかかってきます。
そこで私の家庭教師としての仕事はもちろん志望校に合格させることですが、そのためには勉強だけ教えていればいいというものではなく、私の家庭教師としての長い経験からお子様のみならずご両親の心のケアが非常に大切だと確信しています。ご両親の不安、苛立ち、焦りは必ずお子様に伝染しますし、お子様のストレス緩和は、ご両親の対応の仕方で随分違ってきます。ですから私は授業の終わりにかならずご両親とお話しする時間を設けています。単に授業の進捗状況の報告にとどまらず、いろいろな相談に応じさせていただく時間として。
「私は6年生の息子を持つ受験生の親です。インターネットで先生のページを拝見しました。できれば福田先生に家庭教師を御願いしたいのですが・・・。」5月も過ぎた頃突然そんなお電話を頂きました。そのとき私は既に生徒数が手一杯で募集締め切りのお知らせを出していたのですが、「今来ていただいている家庭教師の先生との相性がどうも良くないようでとても不安です。相談にのっていただけるだけでも結構ですので。」とおっしゃられるので私もなんとか力になれないかということでそのご家庭を訪問することになりました。
その時、つけておられた家庭教師は聞くところによると以下の通りの状況でした。
①勉強だけしか見てくれず相談などには一切乗ってくれないので話し合いができない。
②コミュ二ケーションがとれないので子供とうまくやっていないよう。
③授業も「気が散る」などの理由で見学させてくれない。
④連絡先など一切教えてくれないので都合の悪いときも連絡が取れない。
これからが正念場という時期にさすがにこれはまずいなあと思いました。体験指導でお子様の適正や弱点などをある程度把握した上で、私の信頼の置ける先生2人(算数・理科)をご紹介することにしました。また、その後何かあれば必ず相談に乗りますからというお約束もさせていただきました。聞くところによりますと、現在は順調に受験対策が進んでいるようです。
私は、今のところ受け持ちの生徒が手一杯なので、体験指導も無いかなと思っていたのですが、思いがけずこういう格好でお役に立てたことについて大変嬉しく思いました。そこで比較的時間の余裕がある夏休みの期間に勉強法や進路相談、その他種々の相談に応じさせていただくことにしました。他の家庭教師の先生を紹介するためということではありません。
特に6年生のお子様にとっては大事な夏休みです。この夏休みの期間の過ごし方如何が受験の結果に大きな影響を及ぼすことになります。一人でも多くの方のお役に立てればと思う次第です。
家庭教師 福田貴日(2007年7月28日)
■中学受験篇 ~その9~ 情報過多の罠
仕事柄、数多くの中学受験生のご父兄と話をしますがご自分の子供を何とか志望校に入れたいと願う気持ちの表れでしょうか、実に様々な情報を持っておられるということに非常に感心させられます。それはそれで素晴らしいことではあるのでしょうが、一方で情報過多のあまり選択肢が多くどうしたら良いのか翻弄されてしまうという面もあるのです。テストを受ける度に毎回方針を変えていたのでは長い目で見た場合、大きな成果は得られません。ご父兄には目前のテストや目に見える成果をすぐに期待されるのではなく、ひたすら最終的な目標に向かって臨んでいただきたいと思っております。
今年私が担当し第一志望の芝中に合格した生徒の栄冠は、洪水のように押し寄せる情報に翻弄されながらも目標を曲げることなく貫くことが出来たから達成されたものでした。
私がその生徒を教え始めたのは5年生の11月からでした。苦手だという算数中心の指導でしたが、私としては勉強そのものよりむしろお母さんと生徒が自分達の目標を見失わないように導くことの方がはるかに大変だったように思います。というのもその生徒は気分と体調によって大きく左右されることが多く、実力があってもそれをテスト時に発揮できない傾向にありましたし、お母さんはテストの結果が悪いと不安になって志望校と勉強方法を変えようとされることが多かったからです。そしてそれは情報過多のご父兄に多い特徴的な症状なのです。私はその都度話し合いの場を設け、お二人がご自分を見失わないように精神的にバックアップしたことを記憶しています。
私は通常1回1回のテストの良し悪しにはあまり興味は持ちませんが、ご父兄の立場からすると塾のテスト結果というのは非常に重要な場合が多く、またそれが良くなければ合格できないとまで思われてしまう傾向にあるようです。勿論、良いに越したことはないのでしょうが私としてはあくまでもご父兄を安心させる材料としてあった方がいいかもと思っている程度のものに過ぎません。それならどうやって生徒の出来・不出来や現在のレベル・志望校の合格の可能性を判断するのかと不思議に思われる方もいらっしゃるでしょう。実は私は普段の生徒とのやり取りを通した感触しか当てにしないことにしているのです。数字による客観的データというのも時には必要かとも思うのですが人間を相手にしている以上、学力だけでなくあらゆる意味において目の前にいる相手が現在どういう状態にあるかを見極めずして、その相手の将来を見通すことは出来ないと思うからです。私はいつもご父兄に申し上げることにしています。私達が相手にしているのは生身の人間であって機械ではないのだと。だからこそ私はテストの結果やその他の情報に振り回されずに自分の指導方針を貫けるのです。そして良い結果を得るために最も必要なこと、それこそが信頼関係なのです。そういう意味では今回の勝利はお母さんと子供の私に対する信頼がもたらした成果といえるのではないかと思います。
話を勉強の方に戻しますが、ご要望は“抜けている算数の基礎を重点的に”とのことでした。そこでテストの結果を見せていただいたのですが、注目すべき点を一つ発見しました。確かに計算問題や単純な一行問題には間違いが多かったので基礎力が不足していることに違いありませんが、そのわりに決して易しくない問題が意外に出来ていたのです。確かに今は出来ないが、かなりのレベルまで持っていける潜在力はあるかもしれないと私は密かに思いました。
では実際どのような指導を行ったのかは以下の通りです。生徒はある塾に通っていましたが、そこでは四谷の予習シリーズをテキストとして使用していました。
■入試までに行ったこと
(1)5年生11月~6年生4月:入試最重要単元の徹底(主に基礎的な問題)
<内容>計算・割合・速さ・比・約数・倍数など
<テキスト>計算合格の800題(声の教育社)など
(2)6年生5月~7月:弱点分野をつぶす作業
<内容・テキスト>
☆予習シリーズ5年上・下の基礎問題(全単元)のやり直し
☆予習シリーズ準拠計算と一行問題集6年上を全て
☆ベストチェック(日能研):場合の数など
(3)塾の夏期講習→塾が忙しいというので家庭教師はお休み
(4)6年生9月~1月:芝中対策・弱点補強
<内容>
☆芝中過去問(S63年~H19年)
☆分配算:消去算・植木算・速さ・速さと比・旅人算・時計算など
<テキスト>
☆応用自在計算問題の特訓(学研)
☆プラスワン問題集(東京出版)
まず5年生11月~6年生4月に、算数が苦手なら絶対克服しておかなければならない分野を基礎的な問題を中心に扱い、その上で塾の予習シリーズのフォローも必要に応じて行いました。次に6年生5月~7月には過去問対策を行う前に不可欠だと思われる“予習シリーズ5年上・下のやり直し”と“一行問題集6年上の徹底”を1日最低1ページずつ進めるよう指導しました。それとここで新たに発見した致命的になりうる“場合の数”を基礎例題から丁寧に説明し克服させました。
夏休みは、塾を中心にとのことで授業は行えなかったのですが、芝中対策が困難を極めたのはこの夏休みに基本を放置したからに他なりませんでした。それは1ヶ月半ぶりの授業でしたが、しっかりと積み上げてきたはずの基本がボロボロになっていたのです。塾の夏期講習で高度な問題ばかり扱っていた為に基礎的なことがおざなりにされていたことを後にお母さんから聞かされましたが、このことは生徒個人の事情を把握している私のような者が1ヶ月以上もの間生徒から離れる恐ろしさを知らされた出来事でした。もし夏休みに芝中向きの“予習シリーズ6年上”の例題レベルの問題をしっかりやっていれば9月以降はずっと楽な展開になっていたでしょう。
それからは予定通り芝中の過去問と弱点の補強を交互に行いました。実は弱点補強をすることとそれを成果として試し繰り返すという単純作業に飛躍の鍵があるのです。実際の基礎問題の弱点補強の教材としては応用自在計算問題の特訓を使用しました。一方、芝中の過去問の出来はなかなか良くならず、S63年~H6年で10点台:3回、20点台:2回、30点台:2回という具合でした。芝中のように伝統のある学校は傾向が一定しているので古い問題をやることに意味があります。しかしあまりにも芝中の過去問が出来ないので、芝中は本人には向かないから志望校を変えたほうがいいのではと何回かお母さんに相談されました。しかし私は必ず伸びると信じていたので志望校を変える必要はありませんとその度に強調しました。きついことは確かでしたが何とか間に合うとも思っていたからです。
このやり方に対して芽が出てきたと思われたのが11月の半ばでした。この頃には過去問も新しい物に手をつけ始めていましたがこの日、生徒はH15年の問題を44/100とりました。この問題は非常に難しく、この点数でも合格者平均点を上回っていたのです。これは初めてのことでしたが偶然ではない証拠に本人の算数に対する理解度の実感が伴っていました。私としても“実力は間違いなく芝中合格レベルになってきている”と確信した日になったわけです。しかし喜ぶのはまだ早く信頼関係を深める為にもう一つ越えなければならない山がありました。最初はお母さんの表情が冴えないことから感じる漠然とした不安に過ぎませんでしたが、それは現実の結果になって現れてきたのです。
12月に入り、より芝中向きの入試標準レベルの問題が多いプラスワン問題集を扱うことにしました。しかし芝中の過去問の出来は必ずしも良くありませんでした。私も何かおかしいと思い始めたところ、ここで暫く黙っていたお母さんが不安を口にし始めたのです。それはH15年の算数が合格者平均点を上回っているといっても過去数年以内の問題の中には合格者平均点が7割を超えているものもあり、5割を超えたことのない子供が本当に合格できるのかというものでした。そして再び、志望校変更を口にしたのです。私は再びお母さんや本人と話し合いの場を設けました。そして浮かび上がってきたのが塾の先生に理社を徹底的にやるように言われ、四谷の四科のまとめを使って毎日暗記勉強ばかりやっていた為、またもや算数の基礎がおろそかになっていたという現実だったのです。原因は塾というわけではなく、多くの割合でお母さんの不安が関係しているのだと私には思われました。頭に詰め込めば得点力が上がる理社の知識分野に力を入れる方がよほど芝中合格に近づくのではないかと思案し、必要以上に理社に時間を割いたのでしょう。実際この時期プラスワン問題集の進み方は、はかばかしくありませんでした。しかしこれは私が信用されていなかったという現実でもありました。そこでお母さんの不安を取り除けなかった私も自身で反省し、再度芝中レベルの入試標準問題を徹底することの重要性を説きました。そしてようやくここでお母さんや本人にも迷いがなくなったようでした。
1月に入り、プラスワン問題集の出来が急激に良くなりました。そして1月10日に西武文理、11日に城西川越に合格しました。それと同時に算数に対する自信が揺ぎ無いものになっていったのです。この後、2校の合格に気を良くした子供は2月1日に見事に芝中の合格を果たしました。結局、芝中の過去問では一度も5割を越えたことがないにも拘らずなんと当日7割は得点したという報告を受けたのでした。
以下、模擬テストや塾の成績です。
以上が手元にあった資料の一部ですがこれを見て気がつくことは四谷の合不合と塾の成績が全然違うということです。実はテストとは、どこの塾のどんなテストかによって全く異なった結果が出てしまうものなのです。このような場合、私は良い方を信じるように勧めています。一つでも悪い結果を見ると慌ててしまうような方もどうかご心配なさらないで下さい。今回の場合も9~11月の塾の合格判定テストが良いわけですから四谷の合不合が悪いからといって心配する必要はありませんとお母さんには申し上げました。それでもご納得いただけない方にはその都度ご意見をお伺いした上で申し上げることにしています。まずは不安が契機になってお互いの信頼関係が崩れないようにしましょう、そして普段の子供の様子こそが本当に重要なのですと。たとえ私が合格すると予想して信念を持ち指導し続けたとしても、ご父兄が不安なままでは子供の成長がそこで止まってしまうことにもなりかねませんから。
今回のやり取りの中でも何回か信頼関係が怪しくなってしまったことがありました。原因としてはテストの結果であることが多かったわけですが、私にしてみればテストの結果よりもそれが契機になってご父兄との信頼関係が崩れてしまうことを何よりも恐れているのです。信じてついてきていただければ良い結果がだせる可能性は高いのですが、信頼関係を築くということはなかなか難しいものです。そういう意味では勉強だけでなく信じていただけるような指導・話し合いをこれからも行っていかなければならないのだと再確認出来た出来事でした。今回の芝中合格は紆余曲折があったにせよ、お母さんと生徒が最後まで私の指導についてきてくださったから達成できたことであり、お二人には非常に感謝している次第です。
家庭教師 福田貴日(2008年4月28日)
■中学受験篇 ~その10~ 偏差値50の壁
中学受験をさせる場合、多くの父兄はそのための塾に通わせるわけですが、ついていける子と途中でわからなくなってしまう子が必ず出てきます。特に算数でつまずく子はなぜつまずきどうやったら伸びるのか、私はそのことを念頭において新しい指導法を追求してきました。実は長年の指導で私が気付いた算数の苦手な子供の特徴の一つに、自分がいつも使っている解法以外の解法で説明されるとわからなくなってしまう、ということがありました。ですから塾に通っても算数で挫折してしまうという場合、このことを原因の一つとして疑ってみるとよいと思うのです。この生徒のように・・・。
その生徒は3月からのスタートでしたが、その時まで通っている塾での算数の成績が偏差値で40以上を取ったことがないという生徒であり、やはり一つの解法以外は頭に入らないというところがありました。そもそも算数の問題というのは先生によってあるいは教材によって解法が異なることが普通です。それを自分がいつも使っている解法以外ではわからないというのでは勉強は全然進みません。しかしその生徒は全く融通がきかない子でしたので、私としてはどうしても一つの単元に一つの解法という原則を貫く必要があったのです。
ですから私もそのことにはとにかく気を遣って指導しました。例えばその子は食塩水の問題を解く時は複雑であろうと単純であろうとかまわず‘天秤’(テクニックの一つ)を使っていましたので、私も食塩水の問題を見た時は必ず‘天秤’を使うようにしていました。そしてある程度必要な単元をこの方針(単元が同じ問題は同じ解法で説明する)で指導していったのです。
成果の出にくい子でしたので、この方針に沿って必要な単元を一通りマスターするだけでも本人にとっては相当大変だったと思いますが、実はこのやり方だけではどうにもならない最大の難問が後に控えていたのです。それは偏差値50の壁でした。というのも中学入試の算数の問題は偏差値50を目安としてそれより上と下では問題の複雑さが全然違っていて、偏差値50を超えてくると一つの解法だけ説明して押し通せる程単純な単元はないと言ってよかったからです。このままでは偏差値50以上の学校には入れない。これは何か考えなければいけないと思いました。
特に大きく問題になるのは“比”の取り扱い方でした。中学入試では“割合と速さ”に関する問題が非常に多く出題されます。偏差値50位までの学校であれば“比”による解法を使わないでも解ける問題が多いのですが、50を超えてくるとこれを使わなければ解くのに大変そうな問題が続出してくるのです。このレベルになるとどうしても“比”を使う解法とそうでない解法の両方を頭に入れた上で状況に応じて使い分けることが必要になってくるのです。
中学入試の算数において偏差値50を超える学校に合格できるかどうか、その明暗を分ける最大のポイントが“比”による解法を身につけられるかどうかにかかっていたのです。でも解法は複数覚えられない。入試はもう目前でした。
結局私としてはこの生徒を指導するにあたって次のことを心がけることにしたのです。まず“割合と速さ”について“比”を使わない通常の解法を教える。一方で“比”自体に慣れるように“比”に関する基本的な練習問題をある程度の量こなさせる。次に“割合や速さ”が絡んでいて“比”を使うと有効な問題を個別に扱ったのです。
例えば以下のような問題の場合には、“速さ”の問題であっても“比”を使うと有効なのです。
<例題>
ひろ子さんは午前8時10分に甲地を出発して山に登り始め、頂上に着いて1時間30分休憩しました。下りは同じ道を通って登りの速さの2倍の速さで降りたところ、午後3時10分に甲地に帰りました。頂上に着いたのは午前何時何分ですか。
生徒には“距離が同じ場合には時間の比は速さの比の逆比だ”としっかり強調します。その上でこの問題の場合には甲地~頂上は登りも下りも距離が同じだから、速さの比が1:2ならば時間の比は2:1になる、と説明し計算させるという具合に・・・。
私はこの生徒が本当にこのやり方に対応できるのか不安でしたが、やってみると意外にスムーズにことが運ぶことに驚いたのです。一体なぜだろう。そう思った私の脳裏に要領が悪くなかなか成果が出ないにもかかわらず、とにかくがむしゃらに頑張る子供の努力の日々が思い浮かんだのです。なるほどそうだったのか。私は一瞬で納得したのです。
子供にとっては大変な苦労の連続だったけれどもそれを乗り越えたことで、実は問題のほとんどが既に解決していたのだと。揺るぎのない基礎力の完成がそれを可能にしたのだと。
この後入試を受けている間も成長を続けたその生徒は遂に偏差値50台の学校に合格したのです。それはまさに緻密な積み重ねの結果だったのです。
家庭教師 福田貴日(2009年2月18日)

第3篇
11 好きこそ物の上手なれ:中学受験篇(2009年8月6日)
12 バランスの勝利(その1):中学受験篇(2011年4月7日)
13 バランスの勝利(その2):中学受験篇(2011年10月27日)
第3篇
■中学受験篇 ~その11~ 好きこそ物の上手なれ
(1)国語が苦手だった生徒A君
小学校5年生になる教え子の一人(仮にA君と呼ぶことにします)のお母さんから突然連絡を受けたのは6月の半ばを過ぎたある日のことでした。お母さんはいつになく声を弾ませながら、“先生、夏期講習を受講させようと考えていたある大手の塾から電話があって、非常に成績が良いので一番上のクラス(3クラス中)で十分やっていけますと言われました。”とおっしゃるのです。お母さんによると、6月7日(日)に受験した四谷の統一テストがその塾の夏期講習の選抜テストになっていて、その出来が非常に良かったということでした。話を聞いて私もうれしくなりました。以下がその成績です。
■算数:60.8 国語:50.8 理科:68.6 社会:64.8 / 二科:56.6 / 四科:62.8 (偏差値)
普段出来る子でしたらさして感動もしないのですが、この子の場合は別でした。というのもA君は小3の12月に別の大手の塾の選抜テストを受験し、
■算数:48.4 国語:42.7 / 二科:44.4
(やはり偏差値で、理社はこの時点では学校の勉強しかしていませんでした。)
という成績でかろうじて一番下のクラス(3クラス中)に入塾が認められたにすぎず、これではあまり良い授業は期待できないのではないかとお母さんが心配した結果、結局入塾しなかったという経緯があったからです。ただA君の持つ潜在能力を考えれば、指導によってはいつ大きな成果が出てもおかしくないとも思っていましたので、不思議とは思いませんでしたが・・・。
私は普段A君に主に国語と算数を指導していますが、今回は特に国語の指導内容を中心に紹介したいと思っています。実はA君は国語を非常に苦手とする生徒でした。A君はご覧の通り今回の四谷の統一テストにおいて、他の科目に比べて国語の成績が飛びぬけて悪かったわけですが、これでも過去最高なのです。A君は国語の偏差値で50を超えたことがなかったので、私の目標の一つは一貫してA君の塾ないし模試での国語の偏差値を50に届かせることでした。今回これを達成したことで、私は次なる目標に向かうつもりでいますが、その前に途中経過として私がA君にこれまでしてきた国語の指導とはどういうものなのかを皆さんにお伝えしようと思ったのです。
(2)A君の指導開始(小学2年生)
私がA君を指導し始めたのは小学校2年生になってからでした。お母さんから中学受験をさせたいのだけれどもどんな勉強をさせたら良いのかわからないという相談を受けたのです。この時点ではまだ進学塾に通ってはいませんでしたが、進学熱の高い私立に通わせていることでもあり、それなりの意識の高さを感じた私は将来大手の進学塾に通ってもついていけるようにという思いで、指導することにしたのです。当然四科目受験になるであろうことは予想できましたが、国算の配点の方が理社の配点より高いのが中学入試ですから、まずは国算に力を入れることにしたのです。
今回の家庭の場合、お母さんもA君の指導に非常に意欲的で私の指導時間以外にもいろいろと協力していただけそうだったので、指導内容について私とお母さんの二人で、役割を分担することにしました。A君はまだ小学校2年生でしたから最初私は国算にそれほど差がないだろうと思い、二科目を均等に指導しようと思っていました。しかし実際に始めてみると、国語を非常に不得意にしていることに気がついたのです。国語を算数と同じ比重で指導すれば、国語は完全に苦手科目になってしまうと思った私は国語の指導に力を入れることにしたのです。そしてまずその中でも最も苦手とする作文指導に取り組むことに決め、漢字の練習のようなものはお母さんに任せることにしました。そして算数についてはとりあえずお母さんが自分では教えるのが難しいという部分だけに絞って指導することにしたのです。
ご存知のようにレベルの高い中学入試の国語の問題は記述式であることが非常に多く、大量の文章を書かせます。記述が苦手ではとても合格できません。しかも記述力養成には大変時間がかかります。すぐに記述力向上のための対策を練らなければならないと思いました。しかしそれにはまずA君の作文に対する苦手意識を取り除く必要がありました。
(3)作文嫌いを作文好きにする方法
最初私はA君の通う小学校で毎日のように日記を書かせていることに注目しました。そしてこれを材料にしっかりとした文章を書かせようとしたのです。はじめA君の日記の内容は本当にひどいものでした。まず量が少ない。その上内容がなくてしかも漢字が全く使われていない。字も汚く、いやいやながら書いているのは明らかでした。例えばある日の日記はこんな具合でした。
“きょうはともだちのうちへいって、いっしょにあそびました。たのしかったです。”
こんな日記なら意味がないから書かない方がいいと思うくらいのものでした。いったいどうしたら良いのかと私は悩みました。考えてみれば文章というのは自分の言いたいことを相手に伝えるためのものです。しかしもしこれを勉強の一貫と考え、課題として出されているから仕方なしに書かなければならないとしたら、内容はどうでもいい、とにかく書いてしまえ、ということになり、当然そういう気持ちで書いた文章はつまらないものになるに違いありません。そう考えると文章というのは義務感で書くものではなく、自分が是非書きたいと思うことを書くものだということになると思います。
しかし実際には作文が嫌いなお子さんというのは得てして、“書きたいことなんてない。”と言うことが多いと思います。子供がこう言う場合、私はお母さんに尋ねることにしています。“お子さんはどういう話をしているときが一番楽しそうですか。”と。
こんなことを私が言うのも、子供が作文を書こうとする原動力は根本的には親子、特に母親との普段の対話の中にあると思うからなのです。子供が毎日の生活の中で楽しいと感じたことをお母さんに話す。それに対してお母さんが頷いたり、質問したり、意見・感想を言ったりする。こういう微笑ましい親子の対話が普段からあれば子供は“書くことはない。”などとは言わないと思います。作文嫌いな子供に作文好きになってもらうためには前提としてお母さんに子供と対話するときの会話のやりとりを意識的に工夫しようとする気持ちが必要だと思うのです。
言い換えればお子さんが作文で、”書くことなんてない。“と言うようなら、お母さんには普段のお子さんとの対話を深めることで、作文の題材作りに力を入れることをお勧めします。このことはうまくすれば親子のコミュニケーションを深め、家庭内を明るくし、子供の心の成長という意味から言ってもいい影響を与える可能性すら秘めていますから、真剣に取り組む価値のあるものだと思います。
(4)学校の文集に載ったA君の日記
話題をここでA君に戻します。A君が日記を書くのが嫌いなのは明らかでしたから、お母さんにはなるべくその日の出来事についてA君の話をよく聴いた上で、うれしそうに話す話題に絞り、何がそんなにうれしいのか、どのようにうれしいのかなど、様々な角度から突っ込みを入れてもらい、文章として表現するのに必要なキーワードをできるだけたくさん工夫して引き出すようにアドバイスしたのです。
これに対してお母さんは早速A君が日記を書きやすいように、会話のやりとりを工夫しようとなさいました。すぐに効果が出るというわけではありませんでしたが、粘り強く実行していただきました。すると、およそ半年後の10月18日(水)の日記に
“さいきんぼくは日記をかくのがすきになっています。なぜかというとじぶんでもわかりません。ほんとうにふしぎです。”
と日記に対しての気持ちの変化を表すようになり、さらに年明けの1月14日(日)には
“さいきんぼくは日記を書くのがまえよりずっとたのしくなっています。そして、かくのが速くなりました。“
その気持ちがさらに強まり、日記を書くことに対する苦手意識が次第に消えていく様子が窺えるようになりました。たいしたことだと思われないかもしれませんが、子供にとって今まで嫌だなと思っていたものが楽しくなるということは大きな成長です。事実A君はそれからわずか半月後の1月31日(水)に今まで見たことがないほど上手な日記を書いたのです。しかもすばらしいと思うようなものは誰でもそう感じるようで、この文章は学校の先生の目に留まり、学校の文集に載ったそうなのです。少々長い文章ですが全文を掲載します。
“今日は「ゆうびんきょく」へけんがくにいきました。ゆうびんきょくのなかで1ばんすごかったのは手紙にはんこをおすきかいと手紙をかく市ごとにわけるきかいです。はんこはなん月なん日にうけとったかがわかるようにはんこをおすらしいのです。はんこのきかいに手紙をいれてからいっしゅんではんこをおしているのがすごかったです。そのきかいは1時間に三万つうもの手紙がわけられているそうです。ぼくたちと先生でけいさんしてみると・・・1びょうにおよそ8つうもの手紙をわけるということになります。じっさいにぼくも手紙を出してみるとあっというまにわけられてしまいました。そしてぼくの手紙をさがしてみると立川というところにちゃんとわけられていました。やっぱりきかいはすごいなーと思いました。”
(5)いい作文にはその子の個性が表れる
この日記のすばらしいところはA君の個性がよく表現されているところです。お母さんによるとA君は日頃様々な機械に興味を示すそうです。そしてそれをよく観察してそれが何をするためのものなのか、どんな仕組みで動いているのかを理解しようとすることが非常に好きなのだ、ということでした。私はこのような日記を書くA君は科学者に向いているのかもしれないと密かに思いました。実際、このときには想像もしなかったほど、後にA君は理科が得意になっていったのです。
さて、文章を書くことに対する苦手意識が消えたA君はこれからどういう成長を遂げることになるのでしょうか・・・。それは次回までのお楽しみとさせていただきます。
家庭教師 福田貴日(2009年8月6日)
■中学受験篇 ~その12~ バランスの勝利(その1)
(1)第一志望校合格を勝ち取った生徒、それは・・・。
2月2日(水)、午後9時15分頃。嵐のような歓声と拍手がご家庭で沸き起こりました。
それは明大明治(第1回)の合格が決まった瞬間でした。その日私は用事でたまたまそのご家庭に居合わせていて幸運にも直接、その歓喜の輪に加わることが出来たのです。私はこの生徒を小学校2年の時から指導してきました。国語が非常に苦手で文章を書くのが嫌いなため、作文好きにすることを目指しその過程で思いもかけず将来、科学者になるかもしれないと思えるほど理科好きなことを発見したその生徒とは、そう…あのA君だったのです(ここでA君についてご存じない方は、前回のコラム“好きこそ物の上手なれ”をご参照下さい)。
(2)奇跡に近かった合格
合不合における明大明治(第1回)の偏差値は60を超えていましたから、A君をとても優秀な生徒だと思われる方が多いかと思います。しかし現実は全く違っていたのです。以下がA君の合不合における全成績です。
■第1回(9/19)・第2回(10/17)・第3回(11/14)・第4回(12/12)
・算数:54.3・43.7・44.8・44.1
・国語:50.9・46.9・53.0・56.8
・理科: 48.0・59.4・47.7・50.5
・社会: 37.3・49.9・52.4・55.5
・4科:47.8・48.4・49.2・51.8
・明大明治判定:20%未満・20%未満・20%未満・20%未満
<いずれも偏差値>
ご覧の通りA君の4科の成績は最高が偏差値51.8であり、判定も常に20パーセント未満でした。常識的に考えれば明大明治合格などありえない生徒だったのです。この生徒をどうやってこの学校に合格させるか、その道は困難の連続でした。
(3)4科目受験なんて無理!?
まず申し上げたいことは、A君は4科目で受験させること自体が難しい生徒だったということです。理数系の方ができる生徒でしたので6年生になって本格的に志望校を決めなければならなくなった時、合格する可能性の高い理科・算数の2科目受験が可能な東京農大一中に絞った方がいいのではないかという話しもよく話題に上りました。なにしろA君は何かに力を入れると理科以外のことはその多くを忘れてしまうところがありましたから、国語や社会にも力を入れるということは大変危険なことだったのです。しかし本人の明大明治への想いは捨てがたく、結局私も覚悟を決めて指導に当たることにしたのです。ではどのような指導をしたのか、それをこれから具体的にお話ししたいと思います。
(4)国語の記述に力を入れる
話しはA君が小学校2年の時に遡ります。A君の家庭は教育熱心ではありましたが当の本人はいたって勉強嫌いでしたので、最初お母さんはどうやって勉強の習慣をつけたらいいのかと困っていました。そこで私としてはまず中学受験において重要な算国から始め、じっくりと勉強に対する姿勢を作ることにしました。ただA君は算数に比べ国語を非常に不得意にしていたので国語の方に、より力をいれたことを覚えています。特に文章を書くのは苦手でしたから、記述力養成に関しては決して手を抜きませんでした。この時点ではあまり意識してはいませんでしたが後から考えると、この時期から記述式対策を行っていたことが明大明治への合否を分けたと思います。それとA君は漢字練習がとても嫌いだったのですが、これについてはお母さんに協力していただいていました。当たり前のようですが、日頃の漢字学習についての重要性はいくら強調してもしすぎることはありません。明大明治の国語の過去問でも漢字の出来が悪いことが多く、最後まで苦しめられました。以下は小学校2年から4年の12月までの国語の方針と使用教材です。
<小学校2年生>
■方針:作文に対する苦手意識の克服
・使用教材:
①小学低学年用21世紀の作文力をつける(学研)
②ワンランク上の思考力の国語初級編(りいふ・しゅっぱん)
<小学校3年生~4年生の12月>
■方針:(1)記述力養成(2)長文読解力養成(3)言葉の知識の増強
・使用教材:
①ワンランク上の思考力の国語中級編(りいふ・しゅっぱん)
②トップクラス問題集国語3年(文理出版)
③10歳までに覚えておきたいちょっと難しい1000の言葉(アーバン出版局)
(5)苦手科目と得意科目ではペースに差をつける
ところで塾についてですが、A君のお母さんは入塾を4年生の2月からと決めていました。そこで私は意識して翌年の入塾に向けた指導を3年生の2月になった時から始めました。算数は四谷の予習シリーズ4年(上)をカリキュラム通りに進めることにして、苦手科目である国語はそのことを考慮しながら4年生の12月までトップクラス問題集国語3年を使い、4年生の1月からカリキュラムよりほぼ1年遅れで予習シリーズ4年(上)に入る形にしたのです。そんなやり方をしていては苦手科目が志望校のレベルまで届かないのではないかと不安に思われる方もいらっゃるかもしれませんが、本来苦手科目を得意科目と同じペースで進めること自体、無理があるのです。もし塾に通っても成果が出ないという場合は、塾のペースや教材が本人に合っていない可能性もありますのでそこは考慮された方が良いと思います。要は6年生の2月1日に間に合えば良いので焦る必要はありません。以下はこの時期の使用教材です。
<小学校4年生(小3の2月~)>
算数:四谷の予習シリーズ4年(上・下)をカリキュラム通り進行
準拠計算と一行問題集4年(上・下)も同時進行
国語:トップクラス問題集国語3年(文理出版)
10歳までに覚えておきたいちょっと難しい1000のことば(アーバン出版局)
四谷の予習シリーズ4年(上)を小4の1月から開始
(6)塾では理社のみとってもらう
私は国算に関しては漢字の書き取りを除いてほぼ完全に一人で指導するつもりでいましたので、塾の利用についてお母さんから相談された時に理社のみの選択をお勧めしました。この方針には異論のある方も多いかと思われます。というのもそもそも進学塾の多くは国算の2科目セットか国算理社の4科目セットという取り方しかできないところが多いからです。私としては塾中心の指導をご希望の方にはそれ相応の対応を致しますが、A君のご家庭は塾選びそのものも私に任せられていましたのでセットではなく科目の選択ができる、ある中堅の塾を予定通り4年生の2月から通う形にしていただいたのです。この塾では普段A君に使用していたテキストと同じ予習シリーズを使っていましたし、選抜テストを行わないことからレベルも高くないため、本人にとってそれほど負担にならず良かったと思っています(また自習室の完備や少人数制できめ細かく見てくれそうだったことも決め手になったと、お母さんが後で仰っておられました)。塾は実績のあるレベルの高いところの方が良いと考える方も多いかと思いますが、それは子供によりますので一概には言えないと思います。
(7)国語の知識分野に力を入れる
語彙が貧困なこともA君が国語を不得意とする原因になっていると常々感じていた私は小学校3年の時から“10歳までに覚えておきたいちょっと難しい1000の言葉”を使って語彙力増強を図っていましたが5年生の4月頃からこれだけでは不十分だと思える事態に直面したのです。塾の国語のテストで、知識分野ができないために平均点を超えなくなってきたのです。一方でこの頃、かなりボリュームのある1学年上の予習シリーズ(5年)の算数をこなすことにも窮屈さを感じ始めていたので、家庭教師の回数を週2回に増やしていただきました。そこで時間的にゆとりが生まれ、国語の知識分野を本格的に指導することが出来るようになったのです。これは特に国語の長文読解における得点力が低い生徒にとっては不可欠なことです。A君の場合、テストの出来からこの分野が非常に弱いと感じていましたので予習シリーズにある、知識関連の単元と準拠ことばの練習帳を4年(上)から始める形にしました。ここで強調しておきたいことはそのやり方です。やらせてみて間違ったものには必ず印をつけ、最低2回はやり直しをさせるようにしたのです。あやふやな知識は試験の時には決して役に立ちません。焦って先に進めたところで形だけになっては無意味です。実際100点満点のうち、配点が漢字20点、語句20点になっている明大明治に於いてこの分野での得点力が安定してくると、読解の出来があまり良くない時でも、過去問の国語の点数がそれほど落ち込まなくなっていきました。
(8)夏休みは国社を重視し、算数は復習程度にする
5月に入り夏休みをどう過ごしたら良いか相談された私は、この重要な時期を普段とは違うものにしようと思い立ちました。四谷のカリキュラムでは夏休みの間は復習が中心で単元は進みません。そこである程度出来ていると感じていた算数と理科は塾に任せる一方、手を抜くと危険な国語を私が重点的に、またここで社会を夏休みから新たに指導することにしたのです。これには理由がありました。以前から私はA君の社会のテスト結果が時々大きく落ち込むことに疑問をもっていたのですが、その間違え方に一つの傾向を見つけたのです。実はA君は選択問題の多いテストは出来るのですが、記述(漢字で書かせるものなど)の多い問題の時は全然出来ませんでした。これではレベルの高い学校は狙えないと感じた私は社会の指導の必要性を痛感したわけです。この時点では社会はまだ地理が中心でしたので“テーマ別特訓ノート都道府県で攻める地理”という教材の要点整理の部分を丁寧にノートに書き写させ、何度も声に出して読ませた上で、“小学社会白地図暗記の天才基礎編”と共に重要用語を覚えるまで繰り返しチェックする指導を実行したのです。書き写させることは記憶の定着に非常に有効な作業ですし、地理は都道府県別と単元別の二方面から整理するときちんと身につくと思っていたので、この2冊を使いました。
ところで夏休みは算数にも、ある工夫をしました。基礎力の充実こそが受験において最も実力を発揮する土台になるものだと思っていた私は、予習シリーズ準拠演習問題集4年(上・下)を自習させることにしたのです。これは普段だと予習シリーズ5年(上)を指導することで忙しく、なかなか演習問題集まで手が回らないため、春休みとか夏休みといった時期にまとめて扱うのが良いと思えたからです。1学年下の教材ですが、基礎をしっかり身につけさせることが出来るという意味ではこのやり方が適切だと思っています。
(9)得意になった地理
9月に入り、塾で理社、家庭教師では国算の体制という普段通りの方針に戻しました。しかし一方で、地理がまだ完成からほど遠いと感じていた私は、夏休み以降も地理の指導を続けました。この時期、既に塾での社会の授業は歴史になっていたからです。国算の合間に行う時間的に少々窮屈な指導でしたので結局1月いっぱいまでかかりましたが、社会のテストについては地理の部分だけは選択問題はもとより、あらゆる形式の問題で全体的にかなり良く出来るようになったのです。以下はこの時期の使用教材です。
<小学校5年生(小4の2月~)>
算数:
・四谷の予習シリーズ5年(上・下)をカリキュラム通り進行
・準拠計算と一行問題集5年(上・下)も同時進行
・準拠演習問題集4年(上・下)を小5の春・夏・冬休みに扱う
・準拠演習問題集5年(上)の一部を小5の冬休みに扱う
国語:
・四谷の予習シリーズ4年(上・下)を小4の1月から小5の10月にかけて進行
・四谷の予習シリーズ5年(上)を小5の11月から3月にかけて進行
・準拠ことばの練習帳4年(上・下)を小5の4月から1月にかけて進行
・準拠ことばの練習帳5年(上)を小5の2月から開始
社会:
・テーマ別特訓ノート都道府県で攻める地理(学研)
・小学社会白地図暗記の天才基礎編(学研)
(10)6年生になって
A君は国語で少しでも手を抜くとすぐ感覚が鈍るので、国語には力を入れ続けました。一方、地理はできるようになりましたが、次は歴史が全く駄目だとわかり、5年の2月から重点的にこれを指導しました。歴史は6年生の10月頃にある程度仕上がったのですが、その頃には公民もなにもしないわけにはいかなくなっていました。要するにA君は国語も苦手でしたが、社会の暗記はそれ以上に苦手だったのです。これには悪戦苦闘しました。しかしその後が更に大変でした。A君は何かに力を入れると、理科以外のことはその多くを忘れてしまうため4科目受験が難しい生徒だったと既にお話しした通りです。にもかかわらず、なんとかA君の夢を叶えようと国語のみならず社会にも力を入れたわけですが、これは同時に大きな危険を伴うことを意味していました。後日、現実に恐れていたこが起きたのです。いつの間にか中学入試に於いて最も大切な算数の成績が平均点を大きく下回るようになったばかりか、得意だと思っていた理科にも見過ごせない問題点があることが明らかになったのです。お母さんは大慌てで、どうしたら良いかと何度も私に尋ねてきました。しかし私にしてみればA君に4科目受験をさせようと決めた時からこのようなことはある程度まで覚悟していました。途方もなく大変な状況には違いありませんでしたが、そんな中でも私には一筋の光が見えていたのです。この事態を一体どう乗り切って明大明治合格へと導いたか、それは又、次回のコラムで報告させていただきます。
家庭教師 福田貴日(2011年4月7日)
■中学受験篇 ~その13~ バランスの勝利(その2)
受験に対する心構えとはどういうものか皆さんご存知でしょうか?
12月以降になって注意しなければいけないことは二つあります。一つはこれまでのやり方を変えないようにすることだと思っています。入試直前になり、塾や模試の成績が振るわなかったり、過去問の出来が悪かったりすると、急に勉強のやり方や志望校を大きく変えたりする方がたまにおられますが、あまり感心しません。というのも勉強は本来、計画的学習をどれだけ積み重ねてきたかでその成果が決まるものだからです。入試直前ですから、調子が狂ってなかなかもとに戻らないまま入試に突入してしまうことだって考えられます。精神面が不安定になりがちなこの時期だからこそ、それまで続けてきた自分自身の勉強の中身については自信を持ってもらいたいと思います。
もう一つは過去問を解く場合、そろそろ入試本番を意識して、当日と同じスケジュールで問題に取り組んだ方が良いということだと思います。4科目を1日で解いた場合と、何日かに分けて解いた場合とで、得点が異なる子供がいたりするからです。実際、A君は4科目連続の試験に疲れはて、最後の科目で頭が回らなくなることもよくありました。その際に休み時間の長さや使い方にも注意を払いました。適切にトイレに行ったり、簡単な栄養補給をしたり、とにかくリラックスするように心掛けることで元気を取り戻し、子供が本来の実力を発揮できたという経験が何度もあったからです。以下、受験までの指導経過をお話したいと思います。
(1)6年生前半(主に夏休みまで)の指導内容
A君の指導は週2回でしたが、1回を最も苦手とする国語の日にして、読解・記述はもとより漢字・その他の知識分野に至るまで指導し、もう1回を算・社にあてていました。算数については普段は予習シリーズ6年(上)を使い応用・発展力を磨いてもらい、春/夏休みには演習問題集5年(上・下)を使って基礎学力をしっかり身につけてもらいました。
社会については一番苦手な歴史を、“テーマ別特訓ノート歴史(学研)”でまず入試によく出る事項(人物・事件等)を覚えてもらい、全体の流れを追う作業は9月以降に行うことにしました。ただA君にとって負担の多い国・社に力を入れたことで、予習シリーズ6年(上)の完成と演習問題集6年(上)を扱う時期が遅くなり、結果として算数の成績低下につながったこと、さらに理科についても見過ごせない問題点が見つかり、お母さんが慌ててしまったことについてはバランスの勝利(その1)でお話した通りです。この事態をどう克服して明大明治合格へと導いたのか、その秘密をお話するのが今回のコラムのテーマです。
以下、夏休みまでのA君に対する指導・教材です。
算数
◎ほぼカリキュラム通り(複雑なものは夏休み以降に扱う)・・・
・四谷の予習シリーズ6年(上)
・準拠計算と一行問題集6年(上)
◎春/夏休み・・・準拠演習問題集5年(上・下)
国語
◎4月~8月・・・四谷の予習シリーズ5年(下)
◎2月~11月・・・準拠言葉の練習帳5年(上・下)
社会
◎2月~9月・・・テーマ別特訓ノート歴史(学研)
(時代別にまとめる作業は9月以降に四科のまとめで行う)
(2)9月以降の指導方針
9月に入り志望校である明大明治を中心に、過去問演習を毎週最低1つのペースで行うことにしました。しかし合不合の結果(明大明治は全ての模試で20%未満)からわかるように実力が不足しているため、合格点など取れるはずもありませんでした。当然答案に点数をつけただけで済む問題ではなく、弱点を発見し説明した上で合格点が取れるように勉強を繰り返す必要がありました。しかしこれが上手くいけば、一気に形勢が逆転出来ることを考えると私はむしろこれからの方が大切だと考えていたのです。
過去問演習は塾で週1回受けておりましたが、そこでは採点や解説までは行っていませんでしたので、採点については私とお母さんとで協力して行い、解説については指導時間の中で行ったのです。ただ四科目全ての解説をする時間的ゆとりがなかったので入試において配点が高く結果に直結する算・国のみ毎回解説をして、理・社については出来の悪いものだけ後で扱うことにしたのです。では、明大明治の過去問結果とその流れについてお話したいと思います。
(3)過去問対策の威力
以下が過去問結果です。
■日時:年度・回数:国語/算数/社会/理科・合計:合格最低点/合格最低点との差
・満点:100点/100点/75点/75点/350点:350点
・9/11・H22・第1回:64/35/20/20/139:219/-80
・9/18・H21・第1回・35/26/28/37/126:222/-96
・10/02・H20・第1回・34 51/23/26/134:234/-100
・10/16・H18・第1回・48/26/32/18/124:221/-97
・10/30・H22・第2回・66/35/51/32/184:229/-45
・11/06・H21・第2回・46/62/18/51/177:237/-60
・11/13・H20・第2回・50/39/40/54/183:237/-54
・11/27・H19・第1回・74/68/34/33/209:236/-27
・12/04・H18・第2回・69/60/53/53/235:229/+6
皆さんはこの結果をご覧になってどうお感じになったでしょう。初回から4回目まで、合格最低点との差が80~100点の得点不足ですから「合格なんて不可能だ。」と思われたかもしれません。事実私はA君の通っている塾で、A君と同じ志望校である他の生徒たちが、やはり過去問を解き始めてはみたものの、その難しさから次々と志望校を変えていったという話を耳にしました。しかし私はこの結果を見て、A君が体力・気力を最後まで持続し続けることができるかを心配はしても、「合格はあり得ない。」等と思ったことはありませんでした。合不合の成績からして、出来ないのは当たり前であって、私は逆に闘志を燃やしていたのです。事実、3ヶ月あまりの過去問指導により、12月4日には合格最低点を上回る結果を出すことが出来ました。これで志望校への合格が決まったわけではありませんが、望みが出てきたことは明らかでした。
私の長年の経験から、A君ならこれくらいのことはやれる可能性があることを確信していましたが、ストレスに弱く、勉強に耐えられず途中で投げ出しそうになることがよくあったA君が、この結果を出すことは勿論易しいことではありませんでした。
(4)短期間でなぜこれほどの進歩を遂げられたのか…?
以下月ごとに過去問結果に基づく対処法についてお話したいと思います。
【9月】
まず、初回の国語で64点だったのを見て、私は「いける。」と思いました。明治の国語は記述が多く、決して易しくはありません。国語が一番の苦手科目であったA君にとって、これは最初にしては大成功でした。そして同時に「何としても国語の得点力を確実なものとしなければならない。」と常に考えて指導してきたことが成果として実ってきていることを十分に感じさせるものでした。しかし一方で9月18日の国語の結果(35点)では、知識分野の得点が大きく落ち込んでいましたので、結局、国語で得点力を安定させるには、「知識分野を確固たるものにしなければ…。」と改めて感じさせることにもなったのです。そこで、準拠言葉の練習帳5年(下)にも力を入れたのはもちろんですが、漢字や語彙力についてもさらなる課題を課すことにしたのです。
次に算数については、この時期、国・社に力を入れ過ぎた為、さまざまなテストで得点が落ち込み始めていましたし、予習シリーズ6年(上)はいまだ未完成、準拠演習問題集6年(上)に至っては、全く手をつけていなかった状況の割には、9月11日の35点、18日の26点という得点は、私には「最初にしては上出来だ。」と思えたのです。この結果を見ても私が慌てなかったのはA君がもともと算数を苦手としていなかったことから、「後で必ず伸びる。」という確信が私にあったからでもあったのですが…。ただ計算問題や比較的易しい問題でミスをしていましたから、「これについては、対処しなければ…。」とも思いました。
理・社については、普段の指導を充実させることで十分に得点力が付いてくると思っていましたから、まずは過去問に慣れてくれれば良く、最初の何回かの点数は気にしませんでした。しかしそれだけに指導が最終段階に入っていた社会の“テーマ別特訓ノート歴史”については、力を入れて完成させました。この結果を受けて、以下のことを実行してもらうことにしました。
まず毎日必ず漢字10題・計算5~10題をやってもらうことに決め、これを入試前日まで続けるように指示したのです。ただしこれは肩慣らしとしても有効なことから、私の授業がある時は、授業前には終わらせておくように注意しておきました。次に国語の語彙増強のために“中学受験必須難語600(アーバン出版局)”を、算数は基礎事項の総復習の為、“ベストチェック(日能研ブック)”を仕上げるように指導したのです。
ベストチェックの完成がもたらしたものは大きかったと思います。これによりA君の中で今まで学んだ算数に関するほぼ全ての単元が頭の中で整理され、忘れていた単元も思い出せるようになっていったからです。さらに算数については過去問の解説に加えて、予習シリーズ6年(上)の中でもまだ扱っていなかった、やや複雑な内容のものについても指導し、ベストチェックと共に10月の半ば頃に終了しました。
【10月】
国語は知識分野を重視して指導しました。点数が悪いときには、必ず知識分野が落ち込んでいたからです。算数は入試標準レベルの問題を集めた、“応用自在計算問題の特訓(学研)”を用い、弱点と思われる分野を発見したらすぐにその単元の問題を解く作業を徹底してもらいました。それと応用・発展力を磨いてもらうために、準拠演習問題集6年(上)をまず基本問題を全単元扱い、次に練習問題を全単元扱うという具合に進めていきました。過去問を解いていくうちに、次第に明治の算数の傾向がはっきりしてきましたので、よく出る分野、例えば“ニュートン算”や、“正六角形の性質を用いた問題”等については丁寧に解説しました。
社会については、この時点では過去問の解説は一切行わず、四科のまとめ(四谷の教材)を用い、怪しいということがだんだんわかってきた公民とそろそろ忘れかけてきた地理の復習のチェックを始めました。一方、この頃から理科の弱点分野についても要望があり、指導を週2回から3回に増やさせていただき、特に苦手な計算分野を中心に扱うようにしました。ただ過去問の解説は、社会と同様まだ始めてはいませんでした。以上のような指導の結果10月30日には、過去問結果に見られるように合格には程遠いものの大分力をつけてきたのです。
【11月】
社会は歴史や地理そして公民のチェック、理科については計算分野の復習が進み、さらに明治の過去問に慣れてきたことで、大きな手応えを感じ始めていました。加えて27日には、算国セットである程度満足のいく得点に達したことから、4科目で高得点をあげ合格最低ラインを超える日は近いだろう、という予感がしてきたのです。そして12月4日ついに合格点を取り、実力的には合格してもおかしくないレベルになったのです。
(5)合格確実を目指して
【12月】
あと2カ月でやるべきことはいかにしてこの実力をより確実なものにし、2月に第一志望校への合格に結び付けるかでした。過去問については、明治はほぼやりきっていたので他の学校、例えば第2志望の国学院久我山中、第3志望の東京農大第一中、等を扱いました。
科目別指導について申し上げますと、国語については知識分野の勘を鈍らせないようにする為に準拠言葉の練習帳6年(上)に入りました。社会については、4科のまとめの歴史のチェックに入ったのですが、ここで当初の予定通り歴史を時代別にまとめる作業を特に意識して指導しました。
過去問指導はというと国学院久我山中、等を解くことに加えて、明治については、国語は知識分野を確実なものにする為、間違った問題を復習するようにしました。算数はやはり間違った問題の解法を暗記する位何度もやり直してもらいました。私には、明治の算数は傾向がかなりはっきりしているように感じられたので、完璧にできるようにすれば非常に有利だと思えたからです。さらに、いよいよ今まで後回しにしていた理社の解説についても指導するようにしたのです。ただし時間的にいって、全てを扱いきれないことは明らかでしたので点数の悪いものやはっきりと弱点だと思われるものを中心に指導しました。理科は必然的に計算分野の指導が中心になりました。
【1・2月】
入試の初日は10日の西武文理でした。偏差値は合不合で53でしたからA君にとってはこれでも合格すれば成功と言える学校でした。準備としては過去問を3年分解いた上で復習してもらいました。解説はやはり時間的制約から、国算以外は手が回りませんでしたが、幸い合格することが出来たのです。1月受験は、この一校だけにしました。練習のための学校をあまり沢山受けすぎると、その準備に追われ、本命対策が中途半端になると考えたからです。
2月2日、明治の合格発表は夜遅い時間(午後10時)でしたので、お母さんにしてみると気が気ではなかったようです。第一志望ですから合格していれば受験はそれで終わりです。しかし不合格であれば翌日、午前中にもう一度明治を、さらに午後には第二志望の国学院久我山中を受けなければならず、早く寝かせる必要がありました。実際には午後9時15分頃に電話での合格が確認でき、嵐のような拍手が巻き起こったことについては、バランスの勝利(その1)でお話した通りです。
それにしても、受けた模試全てで20%未満の判定が出たにもかかわらずA君が明治に合格出来たのはいったいなぜだったのでしょう? まず第1に言えることは模試の成績は学力の目安に過ぎないということです。入試問題に傾向があるのと同じように模試にも傾向があり、対策を練ろうと思えば練れるのですが、私は模試対策というものはあまり意味が無いものと思い行いませんでした。明治の過去問対策にこだわりぬくことこそが重要だったのです。
次にA君の体力・気力を考慮に入れながら、4科目全てについて弱点分野を把握し、本人にとって特に必要なものから負担になり過ぎないように、絞って指導したということです。基本的な方針は変えず、それでいて時に柔軟に、あらゆる意味で全体のバランスを考えながらの指導を貫いたのです。幸いにしてA君も、A君のお母さんも私の考えを理解し、私を信じて最後まで頑張りぬいて下さいました。その信頼関係がなければもちろんこの奇跡のような勝利はなかったと思います。そういう意味ではこのバランスの勝利は、2人のご協力に支えられたものだったと言えると思います。
ところでA君はなぜそんなに明大明治に入りたかったのでしょう。実はA君は勉強よりサッカーが好きな少年であり、学校見学のとき明治のサッカーグラウンド(とても広くてしかも、人工芝です)を一目見て気に入ってしまったようなのです。志望校の選び方は人により様々ですが、A君の場合、サッカーをするのに適した環境というのが決め手だったようです。A君が元気にプレイしている姿が目に浮かぶようです。これからも勉強に、スポーツに頑張ってほしいと思います。
<小学校6年生(小六の9月~)>
過去問:主に明大明治(4科目共)
算数:四谷の予習シリーズ6年(上)の中のやや複雑なもの(10月半ば頃終了)
・準拠演習問題集6年(上)(10月半ば~1月)
・ベストチェック(日能研ブック)(9月~10月半ば)
・応用自在計算問題の特訓(学研)(10月半ば~1月)
国語:準拠言葉の練習帳5年(下)(7月~11月)
準拠言葉の練習帳6年(上)(12月~1月)
中学受験必須難語600(アーバン出版局)(9月~1月)
社会:テーマ別特訓ノート歴史(学研)(2月~9月)
四科のまとめ(四谷の教材)(10月~1月)
理科:塾の教材
家庭教師 福田貴日(2011年10月27日)

第4篇
14 禍転じて福となす(その1):受験一般篇(2014年4月8日)
15 禍転じて福となす(その2):受験一般篇(2014年8月7日)
16 禍転じて福となす(その3):受験一般篇(2018年4月28日)
第4篇
■受験一般篇 ~その14~ 禍転じて福となす(その1)
(1) 適性も学校選びの大切な要素
皆さんは、お子さまの中学受験の時にどのような考えで学校選びをされているでしょうか?進学実績がいいから?大学の付属校だから?面倒見がいいという評判だから?野球やサッカーといったクラブ活動が盛んだから?等々、様々な価値観で選択されることでしょう。
しかし現実の学校生活は必ずしも入学前のイメージ通りにはいかないものです。
満足のいく学校だと思って入学したにもかかわらず、思うようにならないことが多くて困ってしまったという方はいらっしゃるもので、志望校選びの難しさについて改めて考えさせられます。
さて前回のコラムである“バランスの勝利”では、サッカーのグラウンドが気に入ったA君が明大明治に合格するまでの奮闘記をご紹介致しました。これに対して、今回は合わない学校を選んでしまったと気づいたA君とお母さまがどのように方向転換されたのかについてのお話です。“なんてもったいない!”と思われる方もいらっしゃるかとは思いますが、このような例もあるということをご承知おきの上で、これから中学受験をされる方、又実際に進路変更の必要性に迫られて途方に暮れている方は、大いに参考にしていただきたいと思います。
世の中には、勉強が好きな人もいれば嫌いな人もいますし、同じ勉強好きでも考える科目が好きな人もいれば暗記科目が好きな人もいます。特に勉強嫌いでなくても両方得意な秀才でない限り、だいたいどちらかのタイプに偏りがちです。
A君が理科好きの子供であることは、彼についてのコラムで何度となくご紹介しました。これは勿論大きな強みで算数も得意なことから、私はこの子が将来科学者になるのではないかとよく感じたものでした。しかし一方、国語と社会が不得意でしかも暗記することが大の苦手でしたので、単純に勉強好きと言える子供ではないことも確かでした。
果たしてこういう子にはどういう学校選びがふさわしいのでしょうか?
(2) 希望に胸を膨らませて中学に入学したA君に待っていたのは・・・
A君は明大明治に入学した当初は、希望に胸を膨らませて学校に通っていました。サッカー用の広い人工芝を所狭しとばかり走り回る彼にとって学校生活は充実したものだったようです。彼は中学入学後すぐに体が大きく成長し、そのあまりの大きな体のためパワー・ディフェンダーとして相手チームから恐れられ、彼からボールを奪おうとすると吹き飛ばされることから、誰もボールを持った彼に近づこうとしなかったといいます。
しかし何もかもが充実していたわけではなかったことも又確かだったようです。勉強ができる子が多数いることからなかなかいい成績は取れなかったようでしたし、好きな理科・数学はともかく国語・英語・社会が不得意で、その点はとても大変だったようです。
しかも明大明治は勉強の進みも速く、覚えることも半端でなく量が多いため、苦痛で顔をゆがめながら日々テストや課題に追われていました。特に大変だったのは、英語だったようです。どうやらこの学校では、英語をとても重視していて、様々な小テストを行うだけでなく、ラジオ基礎英語を毎日聞かせそのための確認テストを実施したり、NEW TREASURE(英語のテキスト)の各単元の文章を丸暗記させるということを頻繁に行っていたようです。A君は覚えられない英語の勉強をすることで、だんだんと無気力状態になっていったのです。テストはテストで厳しく、選択問題のほとんどない記述ばかりの出題であるにもかかわらず、部分点をつけず完答にしか丸を与えないため、中1の三学期のテストではもう赤点(39点)をとってしまい、結局この学年の英語の内申は5段階評価で2がついてしまうという有様でした。
A君の名誉のために言わせていただきますが、彼は決して英語の学力が低い子ではありません。公立中学に進学していれば間違いなく成績上位に入れる子です。明大明治の英語がそれだけ厳しいということにすぎないのです。
このようなことからA君のお母さんは中1の段階からわが子の将来について不安に思い始めたようでした。お母さんはその時すでに、わが息子を理工学部に進学させることに決めていましたし、明治の理工学部に推薦されないのなら一般受験で他大を受験させようと考えていたようで、成績が全体としては下位でも理数さえできていれば明大明治の高校から希望の学部に進学できるのかをクラス担任に相談したそうです。
すると偶然にもその先生がたまたま前年の高3のクラス担任だったためその辺の事情について詳しく話を聞かせてもらえる機会に恵まれたようなのですが、その話し合いの中で浮かび上がってきた現実にお母さんは衝撃を受けることになってしまったのです。
(3) 理科好きのA君が理工学部に進学できない悲劇
その先生によると、明治大学への推薦は総合成績で決まるものなので理工学部だからといって理数が良ければ入れるというものではないらしい上、高校に入学すると学校の勉強が忙しく成績上位者でなければ他大受験のための勉強をする余裕は持てないだろうというのです。そして結論として、他の高校に進学することを勧められてしまったのです。
お母さんは頭を抱えて考え込んでしまいました。A君はというと、自分は一体何のために苦労して明治中に入ったのだろうと愚痴をこぼすことが多くなりました。
無理もありません。特に勉強好きというわけでもないA君が大変な苦労をしてやっとの思いで入学した学校です。どうして簡単にやめることができるでしょうか?仮に高校受験の勉強をしたとしても、大学の理工学部に有利にはいれる高校に入学できるなんて保証はありません。
しかし現実を知ってしまったお母さんには、わが子の将来についてどうするのが一番良いのかを考える必要に迫られたのです。そして遂に私に相談を持ちかけてきたのです。
A君が中学に入学してからまだ一年もたっていない時期でした。
家庭教師 福田貴日(2014年4月8日)
■受験一般篇 ~その15~ 禍転じて福となす(その2)
(1)明大明治高校への進学が、希望の進路に繋がらなかったT君
お母様からA君の将来の高校進学について相談を受けた時、私はかつての教え子に関わるある出来事を思い出していました。実は私には明大明治高校への進学が大学進学という意味では良い結果に繋がらなかった、別の教え子がいたのです。10年以上も前のことです。その生徒をここで仮にT君と呼ぶことにします。T君は高校受験で明大明治に合格した、受験においては言わば勝ち組でした。
しかしT君にはとても気になる問題点があったのです。実は彼は要領がよく、英・数・国の三科目はとても良くできたのですが、理科や社会は非常に苦手で、本当は勉強好きとまではとても言えなかったのです。
そのことを心配してか、T君のお母様は高校入学後も私たちの指導を再び継続して下さったのですが、実際にはそれで済む問題ではありませんでした。というのも私の数学と別の先生が担当していた英語にはおかげさまで問題はなかったのですが、やはり理・社関連の科目は悪く、特に日本史では赤点を取りそうになってしまったのです。
その時は知り合いのプロの日本史の先生に依頼し、かろうじて進級はできたのですが、つけた時期が遅かったため結局のところ明治大学への推薦という点では、希望の文系学部への進学がかなわなかったのです。私には今でもその時の、T君とお母様のがっかりした表情が忘れられません。ちなみに彼については大学受験をするつもりはなく明治大学への推薦を目標にしていたので受験勉強はしていませんでした。この時、3人の家庭教師がついていても、指導に必要な科目が多すぎる場合にはやはりできることには限度がある、と思い知らされたのです。
(2)将来、理工学部に進学するのに最善の方法とは?
A君もT君と同様明大明治高校に入学すれば、落第しそうな科目をたくさん抱える可能性がありました。私は次第にあの時の経験を無駄にしてはA君に気の毒だという気持ちになっていったのです。
実際それは普段の彼を見ていてもはっきりと言えることでした。
実を言うと、私はA君が明大明治中に入学してからも彼に対する指導を行っていました。T君の場合とは違い、私が一人で英・数は勿論テスト前には社会や理科をフォローすることもあったのですが、その過程で気づいたのは彼が明大明治のやり方についていくのは無理なのではないかということでした。私が彼を少々手伝ったくらいでなんとかなるものではなかったのです。それ故私がお母様から相談を受けた時、言うべきことは既に決まっていました。
それは明大明治高校進学とその後の理工系の大学進学は両立しないという結論でした。私の考えは担任の先生と同じだったことになります。なんといっても明大明治中は定期テストの問題が彼にとって難しすぎるようでした。理系科目はともかく文系科目では落第点を取らないようにするだけでも大変でしょう。仮に何とかそれを乗り切って明大明治高校に持ち上がれたとしてもさらに過酷な高校の定期テストを毎回凌がなければなりません。進級するだけでも精一杯の状態で、どうして他大受験のための受験勉強をする余裕など持てましょうか?勿論、推薦入学など論外です。A君が理工学部を目指すなら、高校は他を目指した方が良いのは明らかでした。
(3)東京工業大学附属科学技術高校をめざして
当然お母様は不安な様子になりました。A君も同様でした。しかし私が高校受験をした方が良いのではないかと申し上げることで、ゆっくりではありますが二人は徐々に気持ちを切り替えようと心掛けて下さったのです。勿論、これを口にした以上私ももう後には引けません。なんとかするしかないと腹をくくったのです。
私の覚悟は覚悟として、お母様は実際には明治高校進学の可能性についても捨てきれなかったようですが、一方で彼に適した学校をいろいろ調べ始めていました。
私のイメージではA君に適した学校とは、たぶん以下のような条件が必要だと感じていました。
① 理工学部進学を中心とした指導が行われている
② 理工学部に対する十分な指導実績がある
③ 文系科目はそれ程勉強しなくても、学校の成績にあまり影響しない
④ 入学試験では理数が重視される
⑤ 入学試験の国語で文学的文章があまり出ない
⑥ 入学試験の国語に古文がない
しかし、こんな都合の良い学校が果たしてあるものだろうかと思いを巡らせていると、ある日お母様の方からある高校について話題に上ったため、検討することにしたのですが、それが東京工業大学附属科学技術高校でした。
私はその学校の内容を知るやいなや、そこがまさにA君にとって理想的な学校であることに気付いたのです。
まず一学年約190人のうち35%前後が理工学部に推薦で進学でき、一般受験も加えればほとんどの生徒が理工系の学部に進学する。しかも難関国立大学で有名な東京工業大学に毎年、10人程の推薦入学者を含む15人程度の合格者を出している。加えて英・国・社といった文系科目の授業時間が理系科目と比べると格段に少ない。入学試験については3科目の英・数・国だが、英・国で100点ずつの配点なのに対して数学の配点がなんと150点である。国語に古文はないし、長文も論説文が中心である。
とはいえ、手放しで喜べるほど単純なことではないことも又確かでした。その学校は難関国立高校であり、理工学部出身者の就職が大変良い昨今にあって、人気急上昇中でしたし、そのため翌年度の予想偏差値も69だったのですから。
ただお母様がその内容を見て、ため息交じりに“こんな学校に息子を入れられたらいいなあ”と仰っていたのに対して、私は目標が定まって、徐々に自分に気合が入っていくのを感じていました。
(4)お母様の不安
私が目標校にどうやって合格させようかと思案していた頃、お母様は全然違うことを考えていました。そもそも学校で落第すれすれの成績をとっている自分の息子が、現実にこんな難関校に合格できるものだろうかと言うのです。お母様はわが子の成績が悪いことで、すっかり自信を失っていたのです。
“なるほどそういうことで悩むのか”。
“不安を取り除くための適切なアドバイスが必要だ。”
そう感じた私は、次のようにコメントしたのです。
“お母様、お子様が難関の中学入試を突破してみごと明大明治中に合格した日のことをどうか思い出して下さい。あの頑張りを経験したことのない者に負けることなどありえません。”
実際、私は普段なんの勉強もしないさぼり癖のある私立中学の生徒が、高校入試の模試をいきなり受けていとも簡単に偏差値60を超える姿を何度も目にしていたのです。
つまり私の経験では、中学入試を突破した生徒はそれ程勉強していなくてもそれだけで、平均的にかなり高い学力を持っていることが当然の常識だったのです。
私には明治中に合格したA君の底力からして東京工大附属高校に合格することがそれ程難しいこととはとても思えませんでした。
とは言うものの、学校では中学二年になったA君にお母様を不安にさせることが次々と起きていました。
一番厳しかったのは英語の成績でした。一学期中間に42点、一学期末が38点。勿論40点を下回っているので赤点です。お母様にしてみると、高校入試のことよりむしろこのことの方が気になってなんとかならないものかと思い悩む日々が続いていたようでした。
私もここまでひどい成績では気の毒なので、この頃は学校の英語の勉強にかなり力を入れるようになってはいたのですが、別の事情もあって解決が難しい問題になっていたのです。実は彼は部活であるサッカーの激しい練習で毎日疲れて帰ってきたために勉強をする気力に欠けていたのです。本当はこのあたりで部活を辞めるという決断があっても良かったのですが、クラブ活動は重要だというお母様の方針もあり、事態を変えることができなかったのです。
そして二学期の中間・二学期末と40点を超えられないことが普通になっていったのです。三学期も同様でした。
その結果A君の二年生の成績は遂に、5段階評価で英語が1、社会も2になってしまったのです。数学や理科が得意といっても出来る子の多い明治ですから、テストの全科目合計の総合順位もすでに、毎回下から数えて一割以内という状況が固定化していました。
やるべきことをやってもこうなるわけですから、学校の成績に関しては、私としてももはやなすすべがありませんでした。お母様はというと、明治高校進学を完全にあきらめてはいなかったので、ただ茫然とその成績表を見つめることだけしかできないという状況になってしまったのです。
ただ彼に関しては、幸か不幸か気持ちの中で
“これでは明治にいてもどうにもならない。”
という気持ちがだんだんと強くなっていったようでした。
(5)一発逆転の予感
しかし落ちるところまで落ち切ったA君の学校の成績が、三年生になるとあることが切っ掛けになって上がり始めることになるのです。それが起きた背景については、次のコラムでご紹介することにして、ここでは学校の勉強とは違う観点から彼の英語の学力について皆さんにお伝えしたいと思います。
お母様の立場からすると学校の英語の成績こそ何とかしてほしいと思う大きな問題点だったとは思いますが、実は私からするとどうしても見落としていただきたくなかったある重要なポイントが他にあったのです。
それはA君の英語の学力は決して低くないということでした(前回のコラムでもこのことについては指摘致しました)。
この点は大切なことでしたので、折に触れてお母様にはその理由を分かるように説明していました。実は私は彼の英語の学力を、英検や実力テストそれから中三になってからは模試で判断していたのです。
彼は中一の10月に英検4級に合格(中2終了レベル)していましたし、中2の10月に3級に合格(中学卒業レベル)していました。さらに普段の中間・期末が悪い割には、二学期の夏休み明けにあった、試験範囲がなく準備の難しいはずの実力テストで、46点と健闘していたのです。
このことは彼の学力が、公立中学に通っていれば間違いなく上位に食い込む成績を取れることを意味していたのです。
そしてこれこそが東京工大附属に合格するために必要な学力であることを二人に強調し続けたのです。
東京工業大学附属科学技術高校入試まで、あと一年を切っていました。
家庭教師 福田貴日(2014年8月7日)
■受験一般篇 ~その16~ 禍転じて福となす(その3)
(1)初めに
前回のコラムから四年の月日が経過し、読者の方々には大変お待たせ致しました。長きに渡りお伝えしてきたA君の物語をここに完結いたします。
苦労して明大明治中に合格したにもかかわらず成績不振のため入学からたった一年で、希望の大学の学部(明治大学理工学部)への進学の可能性を否定されたA君が、早々と高校受験を決意したこと、その目標校が難関の東京工業大学附属科学技術高校(偏差値:69)だったことは前回のコラムでお伝えしました。
果たして彼は見事に目標校に合格できたのでしょうか?
(2)吹っ切れたA君 二年生までは明大明治中に未練があったA君も三年生になると、もう他の高校に進学する決意が固まっていました。そしてお母さんもしぶしぶ彼の意思を尊重することにしたのです。
一方、この頃彼を取り巻く環境も変化していました。二年の三学期末テストで成績が悪かった彼はそろそろサッカー熱が冷めたこともあり、部活をやめていました。彼は意外と飽きっぽかったのですね。それはともかくとして、このことが彼の気持ちを高校受験へとさらに向かわせる切っ掛けとなったことは確かなようでした。これにより部活の練習で疲れて勉強が手につかないということがなくなったのです。
ここで一言ご注意申し上げますが、部活と勉強を両立させた方がいいか、どちらかに専念した方がいいかという判断は、人によりあるいは状況により異なります。彼の場合はたまたま勉強に専念したことが幸いしたに過ぎなかったということです。
(3)上がり始めたA君の成績
その成果は三年生になって出てきました。学校の成績が徐々に上がってきたのです。英語に関して申し上げると、赤点(40点未満)を取らなくなったのです。一学期中間に47点、一学期末が48点、そして夏休み以後の二学期中間には遂に60点を取るところまで来たのです。
何とも皮肉と言うしかありません。明大明治高校に進学する気でいた頃には赤点続きで、とても希望通りにはいかないという状況だったものが、他の高校に進学する決心を固めたところ、逆に明大明治に進学できる可能性が出てきたのですから。
しかし学校の成績が多少上がったと言っても、もはやA君に明治高校進学への気持ちはなくなっていました。理工学部進学が叶うかは別だからです。残念なのはお母さんです。もう一度明治高校に進学する気になってくれないかと密かに期待する気持ちが出てきたようでした。
一方親子の気持ちの擦れ違いはともかく、私としてはどちらに転んでもいいように彼の学力(英・数)の充実に努めていました。特に明治の英語の教材(NEW TREASURE)については、STAGE3までやれば高校一年終了程度の英文法の基礎力がつくので、力を入れて指導していました。数学については得意科目でしたので、英語程時間はかけませんでしたが、ある程度満遍なくできてもらわないと困るので学校の教材を見ながら、計算力はしっかりしているか・弱点分野などないかという二点について目を光らせていました。
(4)A君の学力
私は常々A君の学力は明治の成績はともかく、そんなに低くはないはずだとお母さんに伝えてきました。6月頃になるとお母さんはその私の言葉が本当なのか確かめてみたくなったようで、ある日V模擬(高校入試用の模擬テスト)の過去問を彼にやらせてみることにしたのですが、実際問題何の準備もしないで解いた割には比較的よくできていた(三科目とも偏差値にして60前後)ので、私の言っていた事があながち気休めではないと納得して下さったようでした。これが切っ掛けで何とか外部受験にも徐々にお母さんの気持ちが向いていくのが感じられたのです。
(5)A君の受験プラン
外部受験をするとなれば受ける学校を考えておかなければなりません。第一志望は当然東京工業大学附属でよいのですが、受験には常にリスクが付き物です。ですから万一のことを考えて第二・第三志望も決めておきました。
学校のタイプとしては二つのケースが考えられました。一つは希望の大学へ向けての受験勉強がし易く又その環境が整っている進学校であること、もう一つはA君の好きな理数のカリキュラムが充実していて彼が楽しく三年間を過ごせそうな学校であること、という条件でした。
そして前者のタイプとして私立の八王子高校(進学クラスの偏差値は63)を、後者のタイプとして都立の多摩科学技術高校(偏差値:57)と決め、対策を練ることにしました。
(6)具体的な高校入試対策
明治高校進学の可能性を考慮に入れて、高校入試対策は一学期末テスト終了後(7月の半ば頃)に開始することにしました。
まず数学については、“佐藤の入試によく出る数学(標準編)及び(有名高校編)(出版社:ニュートンプレス)”を使い、入試の重要単元を選んで毎日2ページずつ(1ページは計算問題・もう1ページは応用問題)行うように指示しました。その際に重要なことは間違ったものには印を付け、必ずできるまで何度もやり直しをしてもらうことにしたことです。特に入試数学において計算ミスは致命傷になるので、計算問題は確実にできるように意識してもらいました。
英語については、“新中学英語長文の研究第1集(西北出版)”の長文問題を週に一つ行った上で、中に出てくるわからない単語を確実に覚えてもらうことにしました。ただやはり明治の教科書(NEW TREASURE)がしっかりしていることから、基本的には語彙を増やすための学習はこれを中心に行いました。一方、熟語には少々不安があったので、“高校受験基本英熟語279(出版社:彫書房)”をマスターしてもらうことに努めました。
それと英文法や英作文では確実に得点してもらいたかったので、“高校入試英文法・作文特講(旺文社)”を丁寧にやりました。
国語はというと、私は基本的に週一回英・数を中心とした指導で手一杯だったので、お母さんと相談の上で個別指導の塾(栄光ゼミナール)にやはり週一回通っていただくことにしました。その際A君の国語の語彙力が弱かったことを考慮に入れて、塾の担当の先生に私が選んだ教材である、“中学生のための語彙力アップ厳選1000語(出版社:すばる舎)”の中の表現を一つ一つ確認していただいてから、東京工大附属・八王子高校の過去問のうち彼の解いた年度について解説をお願いしました。
(7)多摩科学技術高校対策
この学校に関しては対策という程のものは必要ありませんでした。都立ですから勿論理・社の指導も必要かもしれないと考えていましたが、直接都立高校の過去問を5科目解いてもらって点数を付けたところ、7月の時点で十分合格点に達していることが分かったからです。やはりA君の学力は理・社を含めても決して低くはなかったわけです。ただ油断は禁物ですので、定期的に都立の過去問を解いてもらうようにしました。
他方、学校の成績が悪い彼には心配なことがありました。内申がどう付くか分からなかったことです。しかしとても幸いなことに明大明治の先生方に、外部受験生用の別の基準の内申を付けていただけた(評定平均4.3)のでとても助かりました。
(8)夏休みが終わって
二学期(9月)になると学校の勉強と入試対策を両立させなければならないため、A君にとってはいよいよ大変になりました。お母さんにしてみてもまだ息子を明治に進学させる可能性を完全に捨ててはいなかったので、気が気ではなかったと思います。
一方入試対策に関して申し上げると、数学はある程度力があったので入試の日取りの一番早い(1/22)、八王子高校(進学クラス)の過去問を解いてもらった上で発見した弱点を“佐藤の入試によく出る数学”で補強するというやり方をとっていました。英語については、基礎力はともかくまだ難関高校レベルの入試問題に対応できる力は十分身についているとは言えなかったので、もうしばらく学校の勉強と併用して“高校受験基本英熟語279”と“高校入試英文法・作文特講”を行うことにしました。さらに国語については引き続き栄光ゼミナールに通っていただいて、こちらで指定した語彙の教材と志望校の過去問対策をお願いしていました。
10月には、英語についても八王子高校の入試問題を始めました。長文については知らない単語は確実に覚えてもらうこと、文法問題では間違えたところがあれば弱点ですので単元別に補強することの二つを意識して指導しました。それと英検準2級の2次試験があり(一次試験は6月)対策を行った上で合格しました。これは高一終了程度の学力を保証するものですから、このことからも彼の英語の学力が既に一般の中三よりかなり高かったことがわかります。
(9)八王子高校の合格の可能性
八王子高校(進学クラス)の過去問をある程度解いた11月も終わろうかという時期になった頃、合格の可能性について考えてみることにしました。過去問は5回分(22年度第一回・23年度第一回・24年度第一回及び第二回・25年度第二回)行っていました。結果はそのうち三回で合格点、22年度第一回は7点足りず、25年度第二回で2点足りないという状況でした。ただ22年度第一回は初めて解いたもので、まだ慣れていなかったためだと考えられましたし、25年度第二回についても合格点から大きくかけ離れた点数ではなかったことから、気を引き締めてかかれば合格は間違いないと判断したのです。
(10)お母さんの覚悟
12月はお母さんにとって決断の月になりました。外部受験をする者はここで明大明治高校進学への辞退届けを提出しなければなりません。落第しなければ明治高校への進学は出来ますが、この時点ではまだわかりませんでした。一方A君の成績は徐々に持ち直していたことから、進学が叶う可能性はないとは言い切れなかったので、親御さんとしては悩まずにはいられなかったと思います。
しかし明治高校に進学できればそれで良いというものではありませんでした。一番重要なことは、“将来、理工学部に進学したい。”という彼の気持ちだったからです。息子のその意思を尊重し、お母さんも覚悟を決めて辞退届けを提出しました。
12月に彼は実力試しのために模試を受けています。V模擬(私立向け)です。三科目の偏差値は65であり、判定は八王子高校(進学):90%・東工大附属:60%でした。結果が良かったので、彼は自信を持ったと思います。
二学期末テスト(12月の初め)が終了した頃から、いよいよ東工大附属の過去問に手を付け始めました。20年度から25年度まで6年分解いてもらいました。
(11)東工大附属合格のための条件
この学校の試験は三科目(英:100点満点・数:150点満点・国100点満点)に加えてさらに内申(50点満点)の計、400点満点でした。一方ネットで合格ラインを調べたところ7割程度だということでしたので、合格点は280点と見積もれました。
内申は既に申し上げたように良く付けていただいていた(43/50)ので、三科目の合計237点以上が合格の条件でした。一科目あたり6割8分程が必要でした。
(12) 実際に解いてみると
12月に受けたV模擬(私立向け)の判定(60%)で気をよくしたA君でしたが、この学校の過去問を解いてもらったところ実際にはそれ程合格の可能性が高いとは言えないことが次第に明らかになってきました。
数学は得意科目ですし配点も高かった(150点満点)ので、彼にとって有利だと思われたのですが、6割から7割とるのがやっとで、とてもこれを得点源にするというわけにはいかなかったからです。国立高校だったこの学校の問題が私立の難関校のようには難しくなかったことが災いしたようでした。大問六つのうち最初の四問が難しくないことからこれをいかにしっかり解くかが勝負だと思われましたが、意外にミスが多く高得点につながりません。しかし合格するにはここで確実に得点する以外にないので、間違った問題とその類題を何度も練習してもらいました。
英語の場合、最初(20年度)は72点で良かったのですが、それより新しい年度になるといい点数はとれず(50点を切らなかったから良かったという程度)、24・25年度で60点台前半がやっとという状況でした。理由ははっきりしていました。新しくなればなるほど長文の量も問題量も増え、全て解くのがそれだけ難しくなるからでした。ただ一方で、私が注目したのは記述式の英作文(配点:10点)でした。これは正確に書けばしっかり得点源になるので、“どんどん話すための瞬間英作文トレーニング(ベレ出版)”で、文法項目別の重要例文がしっかり定着するように努めました。
ポイントは国語でした。指導は個別指導塾に任せていましたが、基本的には英語より得点力があるようでした。70点以上が二回あるだけでなく、一度も60点を切らなかったのです。やはり古文がないのが大きかったと思います。それに英語の場合と違って新しい年度でも量が多くて点が取りにくいということがなかったので、この科目が合否の鍵を握っているような気がしました。
(13) 新年を迎えて
1/12に念のためV模擬(都立向け)を受けてもらいました。多摩科学技術高校の判定は90%以上です。もはやこの学校の合格は疑いようがありませんでした。
八王子高校(進学)の発表は試験(1/22)の翌日でしたが、問題なく合格でした。
次はいよいよ東工附属(2/13)です。しかし入学試験が刻一刻と迫ってくる中、依然として状況は予断を許さないものでした。22年度こそ合格ラインを上回っていました(合格点より3点高い240点)が、その前後の年度はそれぞれ32点・28点も合格ラインから大きく足りないものだったからです。どうしてもあともうひと伸びが必要でした。ただ最新の2年分の問題(24・25年度)はあと一歩というところ(それぞれ8点・12点の不足)まで来ていたので、気を抜かなければ可能性はあると考えていました。
そして運命の発表の日(東工大附属の試験から二日後)に、お母さんから連絡をいただきました。“受かっている、受かっている、先生!受かっています。”ウキウキしているお母さんの声が飛び込んできました。お母さんの肩の荷が下りた瞬間でした。
後日、彼から聞いたところによると、“国語の文章が自分にとても馴染みのある話題で分かりやすかった。80点はとったのではないか。”ということでした。
これは余談になりますが、この年(平成26年)明大明治高校へ結果として進学しなかった生徒は九名だったそうです。試練の中で彼が目標校に対して果敢に挑み、家族と一丸となって道を切り開いた姿が私にはとても印象的でした。
家庭教師 福田貴日(2018年4月28日)
